「きゃー」
かごめの歓喜に満ちた悲鳴が上がった。

「どうしたの?」
妖怪退治をして、旅先で得た宿は二室。女子の部屋となったその一方で、かごめは漫画を手にしている。
「やだ、かごめちゃん持ってきたの?」
「白霊山の二人、どうしても気になったから」
普段は楓の庵の片隅に積んであるそれらだが、かごめは荷の中にその一巻を忍ばせていた。
「いやぁ、もうこの時からすでにラブラブじゃない!」
「らぶ…?」
「珊瑚ちゃんったら弥勒さまに抱きついてこんなこと…」
「…はあ?」
珊瑚は訝しげにかごめの持つ漫画を覗きこんだ。
すると本当にかごめが言ったように弥勒に抱きつく自分の絵が描いてある。
「!やだぁ!こんなことまで描いてあるの!?」
途端に自分の行動を思い出し、頬を染める珊瑚。

かごめの国には珊瑚には信じがたい不思議なる道具が多く存在しているらしいので、自分たちの旅が詳細に記されているこの書物についてもさしたる疑問は抱かなかった。
だがしかし、こんな恥ずかしい場面を絵にしなくてもいいのではないかと思う。
「珊瑚ちゃんもなかなかやるわねー」
「…だって、法師さまが死んじゃうと思ったからつい…」
「弥勒さまも嬉しかっただろうね」
「どうかな」
「そうに決まってるじゃない。この前の弥勒さまの科白知ってる?」
「何?」
うふふと嬉しそうにページを戻すかごめ。
「これこれ。珊瑚ちゃん意識なかったから知らないんじゃないかな」
そうしてかごめに突きだされた漫画を受け取り、しげしげと読んでみる。

―白霊山。飛来骨を受けて意識を失う珊瑚。
珊瑚を守るため風穴を開く弥勒。

『愛しいおなごと引きかえに永らえたい命など…この私は持ち合わせておらん!』

「…!」
どんどん珊瑚の頬の紅が濃くなっていく。
にやにやするかごめ。
「弥勒さまったら人が悪いわよね。どうして本人が意識のない時に限ってこういうこと言うのかしら。」
「…うん。」
珊瑚は曖昧に返事をし、なおもその台詞をキラキラした目で見つめている。
「でも、一番初めに弥勒さまの思いを知ったのが神楽って言うのはどうかしらね…」
「え」
途端我に返り、かごめを見つめる珊瑚。
「私だって、きっと弥勒さまは珊瑚ちゃんのこと好きだろうなーとは思ってたけど本人に聞いたわけじゃなかったし。」
「…」
神楽は気にも留めてないだろうが、逆にそれが切ない。
そんな相手には本心を言うのに、あたしには隠していたんだ。
「夫婦になる約束はしたけど、その…言われたことないのに。」
「なにを?」
「え、その…す、好きだとか…愛しいとか…?」
「…」
「…」
「…言われたい?」
おや?という顔でかごめが聞いてくる。
「え…」
「言われたいわよね!」
「そ、それは…」
「ふんふん。よし!」
「何?」
「じゃあ言ってもらいに行きましょう!!」
「え、ちょ、かごめちゃん!?」
そう言ってかごめは珊瑚の腕をとり、彼女を無理矢理引きずって隣の男部屋に乗り込んでいった。


「弥勒さま!…ってあれ?」
「おう、弥勒ならどっか行ったぞ」
「おらは止めたんじゃがな〜」
部屋にいたのは妖怪退治のお礼にと出された食事にがっつく犬夜叉と七宝だけであった。
「出かけたって、一体…?」
「あ?女口説きに行ったんじゃねぇのか?」
「犬夜叉!」
かごめは焦り気味に珊瑚の方を振り返った。
「珊瑚ちゃん!!」
「ふ…」
ふら〜と出て行こうとする珊瑚を慌てて引きとめるかごめ。
「ね、まだ女の人の所に行ったとは限らないし!」
「…いいの、かごめちゃん。あたし疲れたから部屋に戻る。」
「珊瑚ちゃん、そっちは部屋じゃ…」
わざとなのか無意識なのか、宿の出口に足を向ける珊瑚のあまりの空気の重さに、彼女を引きとめられるものは誰一人として存在しなかった。
「大丈夫かのう…」


―あんなこと言っといて。
「約束だけ…」
口先だけで約束しておいて、あとは他の女と遊ぶ気だったのか。
ううん…あたしのこと厄介払いするためにあんなことを言ったのかも。
「…許せない」
珊瑚の足が止まった。
そこには女を侍らせて楽しそうに談笑している法師の姿があった。
飛来骨は宿に置いてきた。しかし仕込み刀なら持っている。
珊瑚は不敵な笑みをたたえて一瞬俯いたが、すぐに顔をあげて法師に斬り込んでいった。
「退治する!」
うりゃーーーー!とか気合の入った声に驚いて、悲鳴とともに女たちは散っていく。
珊瑚は、一般庶民が逃げられるほどの距離から法師めがけて突進して行った。
「珊瑚?」
「今日という今日は許せない!」
「おい、やめろ!」
その切っ先が法師に届く寸前、犬夜叉の制止が入った。
「離せ!そいつはあたしの手で…」
じたばたと暴れる珊瑚を犬夜叉が羽交い絞めにしている。
その後ろでは心配そうなかごめたちが立ちつくしていた。
「一体どうしたんですか…」
弥勒はやれやれといった風にゆっくり立ち上がると、無防備にさらされている珊瑚の胸に触れた。
と、珊瑚の動きが一瞬止まり真っ赤な顔をして、犬夜叉の腕から抜け、弥勒に襲いかかる。

「…間一髪…」
その場に仰向けになった弥勒の顔の真横の地面に刀が突き刺さっていた。
「セーフ…弥勒さま命拾いしたわね…」
しかし。
「許さん!」
刀から離れた珊瑚の手はすかさず弥勒の首を締めにかかった。
「あ、おいこら!」
犬夜叉が珊瑚の腕をつかみ、珊瑚の体を弥勒からはがした。
「放せ!」
「落ち着け!」
珊瑚はなおもじたばたと暴れている。
さすがの弥勒も少々反省したような面持ちになった。
「珊瑚…何にそんなに怒ってるんです?」
「浮気に決まっとるじゃろう」
「ねぇ」
かごめと七宝が同時にため息をついた時だった。
「あ…」
珊瑚は動きを止め犬夜叉の腕から抜け出すとくるりと方向転換し一目散に駆けて行ってしまった。
「珊瑚!」
「弥勒さま、追いかけて!!」
「しかし一体何に怒っているのか…」
「だから浮気だと言っておるじゃろ。」
「それにしても怒り過ぎでは…?」

「あのね、珊瑚ちゃんは弥勒さまに言ってほしいのよ。」
「言う?何をですか?」
「はぁ〜〜弥勒さま、ほっんとに、乙女心は分からないのね…」
かごめは盛大にため息をつきながら一歩前進し弥勒の手を持ち上げると手甲で覆われた右手に、例の漫画を乗せた。
「これは?」
「珊瑚ちゃんはこれを見たの。この中にヒントがあるから。」
「ひん…?」
「弥勒、珊瑚は丘の方だ。」
犬夜叉が鼻をひくつかせて、珊瑚が駆けて行った方向に顔を向けていた。
「ほら、さっさと行く。」
弥勒はよく分からないながらも小走りで前進し始めた。

あの程度の戯れならいつものことだ。
珊瑚もいつもなら耳を引っ張ったり、飛来骨で殴打したりと何とも可愛らしく(弥勒は本気でそう考えている)自分への愛情を表現してくれる。
何故今日はあんなに怒っていたのだろうか?
とりあえず手にしている書物をパラパラとめくってみる。
「あ…」
弥勒は自分が初めて珊瑚への正直な気持ちを吐露した例のシーンを見つけた。
「珊瑚がこれを…」
見たのか?
これを見て珊瑚は何を考えたのだろうか。
これを見て何を聞きたくなるだろうか。
そもそもこれのどこに怒りを感じるのだろうか。
数多くの女を魅了してきた弥勒法師も肝心の娘の気持ちはさっぱりである。

ほどなく丘の上で膝を抱えて座り込んでいる珊瑚を見つけた。
傍らで雲母がおろおろとしながら心配そうに珊瑚を見上げている。
弥勒はその様子を見て、自分よりも珊瑚のそばに寄り添っている雲母にある種の嫉妬を感じつつも、その雲母も彼女の気持ちを量りかねているのに少しばかり安堵した。
そしてこちらを向いた雲母にウィンクをして場所を空けてもらうと、気配を消し、珊瑚の背後に腰をかけた。
彼女を後ろから囲い込み腕の上に腕を重ね、珊瑚を体ごと抱きしめる。
珊瑚はビクッとなって振り向きかけたが、彼の顔が真後ろにあることに気づき慌てて正面に向き直った。
「珊瑚」
「…」
「すまなかったな。お前を置き去りにして宿を出て行ってしまって。」
「…別に。」
「許してくれるか。」
「…ふんっ」
「珊瑚…」
弥勒は小さくため息をつくと、目の前の珊瑚の髪を唇で分け、現れたうなじにそっと口づけると、そのまま軽く舌を出した。
「ひゃあっ!」
珊瑚は弥勒の腕を振り払い、彼と距離をあけるように振り返った。
信じられないというような表情で、真っ赤になり、うなじを抑えながら彼を見る。
弥勒はにこりと微笑む。
「やっと私の方を向いてくれましたね。」

「…私の方を向いてないのは」
「…?」
「法師さまの方だろー!!」
「あ、おい!」
珊瑚は法師を押し倒しキリキリと首を締め始めた。
「退治する!」
「ぐるじい゛〜」
法師はもがきながら、彼女の尻に手を伸ばした。
「きゃあ!」
珊瑚は法師の首から手を放し代わりに平手打ちを喰らわした。
「ふざけないで!」
「いたたたた…」
法師は頬をさすりながら起き上った。
さすがにいつもの嫉妬とは違うことに気づき真面目な口調で問う。
「珊瑚。何をそんなに怒っているんだ。言ってもらわねば分からん。」
「あたしだって言ってくれなきゃ分かんないよ!」
「?」
珊瑚は弥勒をきっと睨みつけ、大きく深呼吸をした。

「法師さま、本当にあたしのこと好きなの!?」

「…はい?」
「浮気ばっかりして!本音は何も言ってくれないっ」
「珊瑚…」
弥勒は、怒りと羞恥で頬を紅潮させている珊瑚をそっと抱き寄せた。
珊瑚の肩の動きが収まるまで背中をさすってやったあと、弥勒はゆっくり口を開いた。
「確かに私は女好きだが」
珊瑚は顔を上げ、弥勒を一睨みする。
「それは、そうだな…お前が、甘く香る花畑を好ましいと感じるのと同じことだ。」
「誤魔化すなっ」
弥勒は興奮気味の珊瑚の頬にそっと片手を当て、切なげな瞳で見つめる。
「いいから聞いてください。…ちゃんと伝えたい」
「…」
無言を肯定の意ととらえ弥勒は続けた。
「しかしお前はその花園に酔いしれることはできない」
珊瑚は眉をひそめる。
「それは…花園を外れたところに咲く一輪の花が気になるからだ。その花はとても弱々しく、今にも枯れてしまいそうだ。…だが、お前にとってはどの花よりも愛しく、かけがえない」
―琥珀のことを言っているの…?
珊瑚は先を促すよう弥勒の瞳をじっと見つめる。
「水をやりたい、近くで愛でたい、と思ってもなかなか近寄ることが出来ない…お前にはそんなところがある。」
「…あたし?」
「私はお前が何より大切で…命をかけて守りたい。だが、怖いんだ。近づきすぎることが…壊してしまうのではないかと」
「法師さま…」
「だから、花園に逃げてしまうこともある。…すぐに気持ちをはぐらかしてしまう。」
弥勒は心なしか少し照れくさそうな表情をしている。
珊瑚は目を見開いた。
「…初めてだ。このように一輪の花に心を砕くのは。皆平等に水をやり笑いかけていればいいと思っていた。そうすれば勝手に咲いて楽しませてくれるのだろうと」

他人を、自分を誤魔化して生きてきた過去
だから、誤魔化せない存在が怖い。
どうすればいいか分からない。

「もういいよ。」
「…?」
頬に当てられたままだった弥勒の掌に己の掌を重ねてふるふると首を振った。
「法師さま…疑ったりしてごめんなさい。」
「珊瑚?」
「法師さまはいつもいつもあたしを…琥珀やみんなを守ってくれていたのに。」
命をかけて守りたいというセリフ通り、法師はいつも、命をかけて…風穴を開けて戦っている。
彼のセリフに偽りのないことは珊瑚が一番良く分かっている。そのことに一番胸を痛めているのもまた彼女なのだから。
「…いいのか?」
「ん?」
「お前、その…聞きたい言葉があったのではないですか?」
「…いいの。」
もう十分伝わった。
そして、本当は分かっていたのだと思う。
「あのね…」
「何ですか」
「私、そう簡単に壊れないよ。だから、怖がらないでほしい…」
重ねていた手を胸の前に持ってきてぎゅっと両手で握る。
「それに、法師さまなら手折られたって構わない…」
「お前、それは…!」
「?」
驚愕に目を開く弥勒と、きょとんと首を傾げる珊瑚。

分かっていないようで、分かっている。
分かっているようで、分かっていない。
珊瑚は本当に特別なおなごだ。

「お前…そのような殺し文句…」
「は?」
と珊瑚が訝しげな声を出すと同時、彼女の背中は地面にくっついていた。
見上げると超至近距離に法師の顔がある。
「…ちょっと!何してんの!」
「お前が私に手折られたいと言ったのだろう」
「は?それが何でこーなる!!」


「珊瑚ちゃん幸せそうね〜」
「そうか?」
近くの茂みがもぞもぞと動いた。
「おい、ところで浮気の件はどうなったんだ?」
「はぐらかされとる…」
呆れたようにため息をつく犬夜叉と七宝の前に、雲母が歩いてきた。
「みぃ」
雲母はその双尾をゆらゆらと揺らす。
「ほら、雲母だって嬉しそうじゃない。」
犬夜叉と七宝は顔を合わせて、再び小さくため息をついた。

直後、お決まりの展開で法師の頬には見事な紅葉が咲く。
ただその後、照れくさそうに見つめ合い、座り直した二人の距離がほんの少し普段より近いことに仲間達は気づかなかった。




あとがき
comic作品初の通常サイズ。いつも短編だったので。
法師の本気告白を珊瑚嬢にもぜひ知ってほしい!と思って書き始めたのに
どうしてこうなった/(^o^)\
花で例えるとか意味分かんなさ過ぎて気持ち悪いw
これでも大分修正したのですが…
読んでくださった方ありがとうございました。

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