同罪


奈落が消え、かごめが冥道に飲み込まれてから三日後。
犬夜叉が一人で戻ってきた。
かごめは無事救い出し、四魂の玉も消滅したという。
その報告を受けて、三日間滞在していた殺生丸の一行は旅立っていった。
一人の少女を残して。
「お主、りんを人里に返すのか?」
これは去り際、楓が尋ねた言である。
「それは、私が決めることではない…」
対し、尋ねられた男の返答は冷たい。
「だったら、連れて行って!」
「…邪見行くぞ」
駆け出すりんに見向きもせぬまま、殺生丸は飛び去ってしまった。

泣き崩れたりんを犬夜叉が小屋の中に運び、楓、琥珀、七宝がなだめている。
続いて、小屋に入ろうとした弥勒だったのだが、微動だにしない娘の姿が目に入った。
「珊瑚」
「え…あ、何」
「どうしました?気分でも悪いのか。」
「そんなことないよ。あれ、みんなは?」
「…皆、中に入りましたよ。見てなかったんですか」
「そ、そう」
「珊瑚…」
ぎこちなく踵を返し、小屋に戻ろうとする珊瑚の腕を掴む。
「さっきだってずっと私の後ろで隠れるようにして…」
珊瑚の肩がわずかに跳ねた。
「何か不安なことがあるなら言ってください。私たちは夫婦になるのですよ?」
「…何でもない。大丈夫だから!」
珊瑚は小屋の中に逃げるように入って行った。

それから七日が経ち、奈落との戦いに巻き込まれた村もだいぶ落ち着きを取り戻した頃、殺生丸が現れた。
「殺生丸様!」
迎えに来たのかと、喜ぶりんに殺生丸は、貢物を手渡す。
「これは…」
着物やら、髪の結い紐などの小物やらが一通りそろっていた。
とても嬉しい贈り物ではあるが、つまりそれらの品物は殺生丸が、りんを連れて行く気がない証である。
少し落胆したが、年の割に物分かりのいい少女は、殺生丸の意を受け入れた。
その夜はりんたっての希望で、殺生丸は泊ることになった。
もちろん小屋で雑魚寝するわけはない。
近くの林内の巨木にもたれかかる殺生丸のそばに、村で使役されていた阿吽が眠り、その上でりんと邪見が眠る。

小屋では、いつものように仲間達が所狭しとひしめき合って眠っている。
りん一人いないところで、彼女が取っていたスペースはわずかなのだからさして変わらない。
ふと、誰かが肩を揺らしているのに気付き弥勒は覚醒した。
「…琥珀?」
「法師さま、話があるんですけど…」
二人は音を立てずに小屋を出た。
入り口近くで眠る犬夜叉はもちろんそんな二人に気づいていたが、別段声をかける様子もない。
「皆には聞かれたくない話か?」
後ろ手に、小屋の戸を閉めると弥勒がさっそく切り出した。
「はい…その、姉上のことなんですけど。」
「珊瑚の?」
「今日も様子おかしかったでしょ?」
「ああ。殺生丸がやってきてから、急に口数が減って…動揺していたように見えた。」
「あと、りん。りんに対してもちょっと遠慮しているところがあると思いませんか。」
言われてみれば、そうかもしれない。
子どもが苦手なのかと思ったが、七宝もよくなついているし、弟思いだ。
何よりこれから十人も二十人も産んでもらわねばならないのに子どもが嫌いでは困る。
「琥珀、何か心当たりがあるのですか?」
「法師さま…あの、姉上を責めないでほしいんだけど…」
「私が珊瑚を責めるわけないでしょう」
言いにくそうな琥珀に微笑んでやり、続きを促す。
しかし、彼の口から紡がれた言葉は、法師に多大な衝撃を与えた。
「実は、姉上は…りんを、殺そうとしたんです」
「…え…?」
珊瑚が…りんを?
「あの、違うんです!奈落に騙されて、法師さまを助けるために…だから!」
「どういうことだ」
琥珀は十日前のあの決戦の日、奈落の体内で弥勒と別れた珊瑚に起こったことを説明した。
すべては弥勒のためだったことが伝わるように言葉を選んで。
「それで、姉上は殺生丸様に自分を引き裂いてくれて構わない、でも、奈落を倒して法師さまの呪いが解けるまでは待ってほしいって言ったんです。」
正義感の強い珊瑚のことだ。
罪悪感にさいなまれていることであろう。
―救わねば。
「法師さま。結果りんは生きている。姉上は何の罪も犯していないんです!」
弥勒ははっとした。
―俺とは違うんだ!
琥珀の心の叫びが聞こえた気がした。
己の罪に苦しむ琥珀が、必死に姉をかばおうとする。
弥勒は呪いの消えた右手でそっと琥珀の頭を抱き寄せた。
「ありがとう、琥珀。話してくれて。」
優しくも力強いその腕に、琥珀は自ら手をかけた父を重ね合わせて瞑目した。
「琥珀、お前…珊瑚から私と珊瑚の関係を聞いているか?」
「いえ…でも、なんとなく分かります」
「ああ。この問題が解決したら、きちんと話そう。」
「はい。」
お互い、そう遠くない未来に家族になることを意識した。


早朝、よく眠れなかった珊瑚は横たわったままぼーっと天井を見上げていた。
顔を洗いに行こうにも一人で外に出るのが怖い。
気を紛らわそうと、ため息をついて部屋を見渡した。
この狭い仮小屋で寝泊りしている仲間達は老若男女入り混じっている。
妙齢の娘は珊瑚だけで、青年と言えるのは犬夜叉と弥勒だが、犬夜叉は入口のそばで番をするように座り込んで眠る。
基本的には誰もが気兼ねなく眠っていた。
しかし珊瑚はどうしても弥勒の隣では眠れなかった。
楓に、仕切りを作ってやるから、二人で眠ったらどうだと提案されたことがある。
何を聞いても知らぬふりをしてやるから、と。
寝泊りを始めた初日にそんな悪い冗談を言われては、意地でも隣では眠れなかった。
そんなことを思い出しながら頬を熱くしていると、人の動く気配がした。
そちらに顔を動かすと、近づく弥勒と目があった。
弥勒はくいっと顎を動かして、何かを伝えようとしている。
どうやら、外に出るようにということらしい。
珊瑚はそっと起き上り、弥勒の後に続いた。

「よく眠れなかったようだな。」
「…」
「…殺生丸が怖いか」
「!」
「琥珀から全部聞きました」
そうかあの時琥珀はすべて見ていたのか…
大きく見開かれた目が瞬時に潤んだ。

「法師さま…ごめんなさい!」
「なぜ謝る?謝らなければならないのは私の方だ。私を助けるためだったのだろう」
決して涙はこぼすまいと堪えている。
ごめんなさい…ごめんなさいと呟きながら。
「琥珀は必死にお前をかばおうとしていた。誰よりも罪の意識にさいなまれている琥珀が…同じ苦しみをお前に味わってほしくないのだろう。」
「…」
「あのあと、お前は防毒面をりんに譲っていたな。自分の命をかけてりんを守ったんだ。それでいいだろう。」
「良くない!そんな後付け…」
「最初から正しい人間なんてどこにもいませんよ。」
弥勒は珊瑚を引き寄せ強く抱きしめた。
「りんは生きている。だから、あれは罪ではなく過ちだ。そしてお前はもう同じ過ちを犯さない。それでいいんですよ。」
「でも…」
「自分が許せませんか?」
「許せないんじゃない。許しちゃいけないんだ。」
珊瑚は弥勒の胸から離れようとしたが、彼はそれを制した。
「私が許す。」
珊瑚は潤沢な瞳で暫く法師を見つめていた。
「私は菩薩ですからね」
ふっと、弥勒が悪戯っぽく笑った。
珊瑚は驚いたように目を見開いたが、やがて徐に瞳を閉じ法師の胸に額を押し付けた。
その瞳からは透き通る涙があふれ頬を静かに流れている。
弥勒は彼女を抱く腕の力を強め無言で見守っていた。

どれくらい抱き合っていただろう。
涙が収まると、珊瑚は法師から少し距離を置いた。
「あたし、怖かった…殺生丸に殺されてしまうかもしれないこともそうだけど、法師さまに軽蔑されるのがもっと怖かった。」
「軽蔑など…」
弥勒は神妙な面持ちで首を振る珊瑚の肩に手を置いた。
「もっと早く気付いてやるべきだった…悪いのは私だ。私を救うためだったのだし、そもそも私があのとき別れようなどと言わなければ…。」
「違う…ちょっと考えれば分かることだった。法師さまの前に幻の奈落がいると聞いたときに、自分の目の前の奈落も偽物だと疑うべきだったんだ」
「それが出来ないように追い詰めるのが奈落のやり口でしょう?」
肩に置いた手を静かに移動させ珊瑚の頬を包む。
「実を言うと、奈落の術中に落ちた我々を救うためにかごめ様が矢を放ってくださったんです。我々がかごめ様の身を守り、かごめ様が我々の心を守ってくださる。今までそうしてきたんだ。全員揃って一つだった。そうでしょう?」
「うん…でも、あたしの心は本当に弱い。あれが法師さまや犬夜叉だったらりんを傷つけるようなことはしなかったはず。」
彼の手首を握り、珊瑚は俯く。
「それを言うなら俺の心はもっと弱い。お前を巻き込むのが怖くてあの時別れる決断をした。―お前の気持ちも考えずに。それがお前を惑わせ、犬夜叉たちも風穴の餌食にするところだった。」
「そんなこと…」
弥勒は珊瑚の腕の力などもろともせず、頬を包んだ手でその面を上向かせた。
「二人とも弱いのなら二人で支えあえばいいでしょう?」

法師さまは強い―でも、辛いことだってあるはずだ。
そんなときは一人じゃなくて二人で乗り越えたい。
「あたしでも法師さまを支えられる?」
「当たり前でしょう。珊瑚がいなければ息もできません」
珊瑚は笑った。
この優しい人が一緒に罪に向き合ってくれる。
珊瑚の心は羽のように軽くなった。
「さて、行くまでもなく向こうから来てくれました」
「え?」
弥勒は珊瑚から離れると珊瑚の前に立った。


「あ、法師さま、珊瑚さまおはよう!」
すると向こうから殺生丸とりんがやってくるのが見えた。
珊瑚がこわばる。
「大丈夫。」
弥勒が珊瑚に笑顔を向けた。
「おはようございます。りん、少し話があるのだが、殺生丸を引きとめてくれるか。」
「?…だって殺生丸様。聞こえた?」
殺生丸が弥勒を睨む。
「殺生丸…奈落の体内で、珊瑚がりんを殺そうとしたことを覚えているか?」
「法師さま!」
「え?珊瑚さまが…?」
「その時あなたは、珊瑚を引き裂く約束をしたらしいですね」
「…邪見帰るぞ」
「待って!」
珊瑚が弥勒の後ろから出てきた。
「珊瑚…」
「殺生丸…あんたは私が憎いはず。それでも殺さないでいてくれる。一度は殺される覚悟もしたけど、今はそれがとても怖い。」
りんが不思議そうに殺生丸の背中と珊瑚の切羽詰まった顔を交互に見ている。
「許してもらえるとは思わない。ただ、これだけは言っておきたい…ありがとう。」
「なーにを、偉そーに。殺生丸様行きましょう。」
邪見が前に進もうとすると、立ち止まっていた殺生丸にぶつかった。
「殺生丸様?」

「私はある男に毒虫の巣を放ったことがある」
「な…!」
(それは最猛勝のことか?奈落の差し金で法師の風穴を封じたことを言っているのか?実は気にしていたとか?)
殺生丸は邪見を睨みつける。
「滅相もございません!」
「りんは死なん。何時如何なる時も私が救う。」
「殺生丸様!」
嬉々としたりんを一瞬目にとめた後、殺生丸は歩き出した。
後ろから邪見も付いていく。
殺生丸は立ち止まらずに告げた。
「…女、りんは任せた」
「!」
阿吽に乗って飛び去る殺生丸と邪見の背中が見えた。

「殺生丸様また来てね〜」
ひらひらと手を振るりんが振り返る。
「みんなを起こしてくるね!」
「頼みました」
機嫌良く小屋に入って行った少女の背中を見送って弥勒は珊瑚の顔を伺った。
「りんは強い子だな…ん?」
心なしか、珊瑚の頬が赤い?
「おい、珊瑚。」
「あ、何?」
「何?じゃない。まさか珊瑚、殺生丸に惚れてないか?」
「!何言ってんの!和解できてほっとしてるの!」
「頬が赤いが?」
「え?やだ…」
「珊瑚!!」
弥勒が珊瑚の両肩をつかむ。
「違うってば!りんを大切にしてる思いに感動したの!」
「あの男は私を殺そうとしたんだぞ!!」
「昔のことでしょ?最初は敵だったんだからしょうがないじゃない。」
「お前、殺生丸をかばうのか!!!」
「落ち着いてよ…」
珊瑚はそう言って自ら法師に身を寄せた。
「珊瑚…?」
「ほら、お尻。お尻触っていいから。」
「…あのね」
私を何だと思ってるんだ

「法師さま…私、許されるかな」
「許すも何も、殺生丸は罪にも値しない、と。相手が大物すぎましたな。」
「そう…なのかな。」
「そうです。もう気にするな。」
弥勒は珊瑚のお尻を触る代わりにその体を抱きしめた。
「ふふ…」
「どうした?」
「朝からずっと抱きしめてもらってるね…」
「ああ。」
「こんなあたしでも幸せになっていいのかな」
「もちろんです。私が幸せにしてあげます。」
弥勒はその艶やかな黒髪に小さく口づけを落とす。

「琥珀と約束した。ちゃんと、私たちが許嫁であることを二人で報告すると。」
「え…?」
「琥珀に、義兄になる男だと紹介してくれるな?」
「…はい」
幾分恥ずかしそうな珊瑚だったが、琥珀を前にしたらきっと伝えてくれるだろう。
二人で支えあって生きていくのだと。




あとがき
最終決戦時のりんちゃん問題について個人的に解決してみた
聖人君子的なセリフは僕には書けないよ…(´・ω・`)
珊瑚ちゃんの心を解すようなありがたいお言葉に脳内変換してお読みくださいm(__)m
そしてこっそりその言葉教えてください←
結婚報告と楓のちゃかし(←)は三作目に描いております。

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