「あの野郎また懲りもせず…」
ぼそっと呟かれた言葉にかごめはぎょっとして振り返った。
「え…?」
別段内容に驚いたわけではない。
それを放ったのはいかにもこのようなセリフを吐きそうな半妖ではなく、 見目麗しい退治屋の娘だったからである。




ギャップ


「珊瑚ちゃん、落ち着いて」
珊瑚の殺気を感じ取った雲母がかごめのそばで眠っている七宝の方に駆け寄り身を寄せる。
珊瑚はそんな愛猫の様子を横目でうかがい小さくため息をついた。
そして視線を元に戻す。
「でもさ…」
当の弥勒はというと実に自然に村娘たちの洗濯の手伝いをしている。
「法師さまが…ホントは不良でよかった…」
「は?」
「だってさ」
いつの間にか珊瑚の殺気は(しぼ)んでおり、ほんのり頬が色づいている。
「不良で、詐欺師で、助平で…そういう面がなかったら、完璧すぎてあたしなんか手も届かなかっただろうな、なんて…」
「完璧…?」
かごめの頭にはいつかの犬夜叉の科白

―弥勒からスケベを取ったら何が残るんでい

(できない!助平じゃない弥勒さまなんて想像できない!)
「…そ、そうよね!優しいし、頭いいし。」
優しいのは女の子限定でね、というのは黙っておく。
「うん。いつもみんなのこと考えてくれていて、法師さまがいるだけで元気になる」
確かに、場を明るくしてくれてはいるが、いるだけで…と思うのは珊瑚だけでは?
とは言えないかごめである。
「それに、か…」
「か?」
「か、こ、かっこいい、し?」
「え?」
(これはもしや惚気られている!?)
何気なくを装って言ったのだろうが、珊瑚は自分の言ったことに動揺を隠せていない。

「珊瑚ちゃん、本当に弥勒さまのこと好きなのねぇー。」
いやぁ、弥勒さまも隅に置けないわーとかごめは笑う。
「な、な、何言ってんのさ!!だから、これは悪い面がなかった場合の話で…」
「でも、そのギャップがいいんじゃないの?」
「…ぎゃっぷ?」
「あ、えっと、ギャップって言うのは…そうだな、まさに弥勒さまみたいな人をギャップがあるっていうんだけど。」
「うん」
「そうだ、七宝ちゃん!七宝ちゃんって見た目、すっごく可愛いのに話す内容は妙に大人でしょ?」
「それが?」
珊瑚は分からないというように首をかしげる。
「雲母も。普段は小さくて可愛いけど、いざというときは巨大化してとっても頼りになる。要は、見た目とか…普段からは想像できない意外な一面?っていうのかな。そういうのをギャップって言うの!」
カタカナ語を使っても大概流されているので、いざ説明を求められても自分もよく理解しないで使っているのだと改めてかごめは思った。
「犬夜叉が人間になったり妖怪になったりするのをぎゃっぷって言うの?」
「それはちょっと違う…」
「んーじゃあ見た目バカっぽいのに実はすごく強いところとか?」
「それはそうね、ギャップね。でも…見た目バカっぽいかしら?」
「うん」
―珊瑚ちゃん…
かごめは心の中でそっと涙を拭った。

「どう?女の子はギャップに惹かれるもんだけど。」
「んー?でも、法師さまの場合は意外っていうか裏表があり過ぎるだけじゃない?だって詐欺だよ?」
「詐欺師かと思いきや、真面目な話してるの見たら、『ちゃんと法師なんだ』って感心するけど」
「あぁそれはそうかも。」
「ギャップっていいでしょ?」
犬夜叉はあんまりギャップないけどね。
いつも、バカがつくぐらい真っすぐで―って私もバカって思ってるじゃない
かごめが苦笑を洩らした時、珊瑚が小さく呟いた。
「そういわれると…不良な面、実は好きかも」
「ん?」
「何でもない!」
「ふーん」
―要は、どんな面も好きなのよね。
かごめは心中はいはい、と呟きながら隣で顔を赤くしている友を見やった。
「まぁ弥勒さまの場合は、大概悪い奴の前でしか不良にならないからね、ワイルドっぽく見えてカッコイイかもね。」
「うん…」
ワイ…なんとかというのはよく分からないが、それでも法師が褒められているのだろうと珊瑚は想った。

暫く恥ずかしそうに俯いていた珊瑚だが突然ハッとしたように顔を上げ、くすくす笑い出した。
「珊瑚ちゃん?」
「ううん。何でもない。うん、でも犬夜叉だってさ、普段ガラ悪い癖にさ、実は優しいよね。子ども助けたり困ってる人見捨てられなかったり。そういうのぎゃっぷって言うんだろ?」
「そうなのよね。あいつの場合はひねくれてるだけのような気もするけど」
「でもかごめちゃんはさ、ガサツなようで、かごめちゃんのことまっすぐ見てる。そういう犬夜叉のぎゃっぷが好きなんだろ?」
「え?」
「違うの?」
かごめは珊瑚の科白を反芻してみる。
なんだかんだ言って犬夜叉は自分のことを大切にしてくれる。
「珊瑚ちゃん、犬夜叉はね、恋愛に疎いようで、肝心なところではちゃんとしてるの。」
そっと肩を抱いてくれたり、ね。
「え…?」
かごめをちょっと困らせたくて言いだしたはずの珊瑚だが、かごめの突然の暴露に珊瑚の方が照れてしまう。
「そういうギャップ見せられるとね、ドキッとしちゃうのは確かなんだけど。」
「う、うん」
「でも、あたしはガサツな犬夜叉も、優しい犬夜叉も、あたしを見ている犬夜叉も見てない犬夜叉も全部ひっくるめて犬夜叉だと思ってるから。」
珊瑚はそう言うかごめの表情に見惚れた。
「どんな犬夜叉も大好きよ」

まったく影がないと言ったらウソになるが、それでもその言葉にウソはなく、恋するかごめの笑顔は女の珊瑚ですら魅了するものだった。
珊瑚も柔らかな笑みを浮かべた。
「かごめちゃん、おすわりって言ってみて?」
「え?」
「いいから」
背後の木がざわめいたのは風のせいだろうか。
「おすわり?」

ずどーん

「い、犬夜叉!?」
ド派手な音を立てて地に落ちた赤い塊を見てかごめは驚愕する。
かごめは珊瑚に一瞬驚いた表情を向けると、犬夜叉の方に駆けて行った。
騒ぎで目を覚ました七宝が
「何じゃ〜」
と目をこすりながら呟いている。
そんな七宝と雲母を抱き上げた珊瑚が二人の下へゆったり歩を進める。

「あんた、かごめちゃんが心配でずっとつけてたの?」
「ち、ちげーよ。たまたま昼寝してたらお前らが来たんだろ」
「…もしかして、話全部聞いてた?」
「…」
恐る恐る尋ねるかごめの方には視線を向けず赤い顔を明後日の方に向けている。
「や、やだあ!」
流石のかごめもうろたえている。
「なんじゃ?何の話をしとったんじゃ?」
いつの間にか珊瑚の腕から離れ、犬夜叉の肩に乗った七宝が不思議そうに聞いている。
「ギャップの話よ。」
ようやく立ち上がった犬夜叉とともにかごめも立ち上がる。
「ぎゃっぷ?」
「駄目だよ、七宝。あたしたちはお邪魔虫だから行こう。」
「あ、おいてめ、珊瑚!別に俺はなあ!」
「いいからいいから」
珊瑚は笑いながら犬夜叉の肩から七宝を抱きとる。
困ったように笑っていたかごめだが、不図何かを思いつきにやりと笑った。
「七宝ちゃん、ギャップっていうの、珊瑚ちゃんが弥勒さまの前で実行して教えてくれるわ。」
「え?」
「そうか!」
よく分からないながらもかごめの目配せに何か面白いことが起こるのだろうと言うことは予測できた。
それに何より珊瑚のこの慌てよう。
「ちょ、待ってよ!実行なんて出来る訳ないだろ!大体何をすればいいのさっ」
かごめは珊瑚の耳に囁いた。
「たまには甘えてみたら?」
「え…」
「普段強気な珊瑚ちゃんだからね、そう言うのもギャップっていうのよ」
珊瑚から身を引いたかごめは、ねっと笑って犬夜叉を連れて去ってしまった。

たまにはかごめと犬夜叉の間を取り持ってやろうとした珊瑚だったが、結局かごめのいい様にされている。
「のう、珊瑚…あっちも終わりそうじゃぞ」
七宝の声で我に返った珊瑚は土手の下に目を向けた。
洗濯物を終えた娘たちがそれを干しに帰っていく。
それでも弥勒は数人の女に囲まれ、楽しそうにおしゃべりに興じている。
用事が済んでもなお法師にまとわりつく娘たちは、先に帰った娘たちよりも彼にご執心なのだろうと容易に想像が出来る。
珊瑚の怒りの炎が一気に燃え上がった。
「お、落ち着け珊瑚!そうじゃ、実行してくれるんじゃろ!何と言ったか、じゃっぷ?」
「…そうだったね、ぎゃっぷ…」
珊瑚は心を落ち着けるため深呼吸をする。

―たまには甘えてみたら?

(甘える?あの状態でどうやって!女たちに睨まれるのがオチじゃないか)
とはいえ、本来睨む義理はあっても睨まれる道理はない。
珊瑚はため息をついて徐に歩き出した。
「あのね、七宝。ぎゃっぷっていうのは普段見せない一面をいうんだよ。」
「そうか。珊瑚は何を実行してくれるんじゃ?」
「浮気現場を優しく取り押さえる。」
「なるほど、珊瑚はいつも怒っとるからな」
ぎろっ
珊瑚が睨みつけると途端七宝は涙目になった。
「や、優しくするんじゃろ〜」
「ごめん…」
そうこうしているうちに、法師の背なが目前に迫っていた。
法師はもちろん気づいているだろうに振り返りさえしない。
珊瑚は優しくー優しくーと低く呟いている。
その胸元で小さな妖怪二匹が怯えていることにも気付かずに。

「法師さま…」
珊瑚はいたって冷静に穏やかに声を発した。
しかし振り返った弥勒の表情は意外なものだった。
「…遅い」
「へ…?」
明らかに怒りを含んだそれに珊瑚は一瞬呆け、徐に立ち上がる弥勒をぼーっと見つめていた。
「すいません。みなさん、連れが迎えに来たので私は行きますね。」
「そんな、法師さま…」
法師の周りを囲んでいた娘たちはがっかりしたような哀しげな声をあげた。
「みなさんも早く干してしまわないと、今日中に乾きませんよ。何やら空気が湿ってきましたからね、これは一雨来るかもしれない」
法師に諭され娘はしぶしぶ帰って行った。
再び振り返った法師は娘たちに対する態度とは違い明らかに珊瑚に怒りを向けている。
むっとした珊瑚はついつい声を荒げる。
「なんで、あたしが怒られなきゃなんないのさ!」
「珊瑚、ぎゃっぷじゃろ!」
慌てて七宝がとりなした。
珊瑚ははっとなって俯いた。
「みぃ〜」
雲母も心配そうに珊瑚をその腕から見上げている。

これではいつもと一緒だ。
確かにいつも怒鳴り散らしてばかりの自分に嫌気がさしていたのも事実。
『七宝にぎゃっぷを見せてやる』
という名目で少しは可愛げのある態度で本音を言ってみたいと思ったのだ。
依然ふてぶてしい態度で二人と一匹の様子を見下ろしていた法師の顔を、意を決し珊瑚は見上げた。
法師への怒り―自分への苛立ちの方が大きかったかもしれない―を押し殺し、
一生懸命しおらしい態度を取り、珊瑚はゆっくりと告げた。

「浮気…やめて…あたしだけ…見てて…」
「!」
小さな獣たちをぎゅっと抱きしめ、潤んだ瞳で切なげに懇願してきたその表情。
弥勒の鼓動は知らず速くなっていく

彼が何も声を発せずにいると七宝が小さく声をあげた。
「なるほど…それでかごめはあんなに楽しそうにしとったのか…」
要するにぎゃっぷというものは、おなごが男の気を惹く手段であると七宝は理解した。
あながち間違いではないが少々偏っている気がしないでもない。
しかし、このような思考を仔狐に植え付けた法師本人がはっとして七宝を見ると、
何も言わない弥勒に対して不安そうに揺れる珊瑚の美しい面を、呆けた表情で見ていることに気づいた。
途端怒りがぶり返す。
怒りの矛先は珊瑚から七宝に移動しつつあったが。
法師の殺気を敏感に察した雲母が七宝の着物を咥えて引っ張る。
七宝が我に返ってそっと振り返ると無表情の弥勒と目があった。
「ひぃぃっ」
七宝は飛び上がるとすぐさま珊瑚の腕を逃れ駆けて行った。
雰囲気を悟って雲母も七宝の後を追っていったため、珊瑚は弥勒とそこに取り残される。
「ちょっと二人とも…?」
呆気にとられた珊瑚が逃げるように去っていく二つの小さな影を見つめていると背後から突き刺さるような視線を感じて慌てて振りかえった。
珊瑚は依然無表情の法師の瞳をじっと見つめる。

その沈黙に先に耐えられなくなったのは弥勒の方であった。
「珊瑚…お前怒っていないのか」
「?怒ってたのは法師さまの方でしょ」
「…では、なぜ私が怒っていたのか分かるか?」
「『遅い』って言ったよね?何かあたしに用があったの?それなのにかごめちゃんと話しこんでたから?」
話し込んでいたのは弥勒も同じで、相手がよその娘たちということでこちらの方がたちが悪いのだが、
今の珊瑚は出来るだけ穏やかに話し、甘える機会を伺っているのであった。
もう七宝はいないので、その必要もないのだが、逆に二人きりだからこそ甘えてみたいという気持ちが強くなったのは
珊瑚が恋する乙女だからであろう。
「当たらずも遠からず、だな。」
「…ごめんね?」
珊瑚は訳がわからないながらも、小さく謝罪の言葉を述べながら、そうと気づかれないほど弥勒との距離を縮めてみた。

しかし、気づけばその距離は一寸たりともなくなっていた。
「え…?」
「悪いと思うなら、今後私を放って他の男と喋るのはやめてください」
「ほ、法師さま何言って…」
珊瑚は弥勒の腕の中でもぞもぞと動きその顔を見上げる。
「お前、私を放置したまま、犬夜叉たちと楽しそうに話していただろう。七宝とも何やら企てていたようだが。」
珊瑚はそう言う法師をじっと見つめていたがその口調と表情に明らかに嫉妬が含まれていることを確信し、噴き出した。
「笑うところじゃ、ありません」
「だって、法師さまったら、拗ねちゃって…可愛い」
最後の一言はさすがに恥ずかしそうに呟き、珊瑚がそっと様子を伺うように顔を上げると、弥勒は無表情から一転、おやというような顔をした。

「先ほどから思っていたが…今日はなんだか素直ですね。」
「え…いや、そのいろいろあって…」
「いろいろ?犬夜叉と話していたことと関係があるのか?」
「犬夜叉だけじゃなくてかごめちゃんもいただろ?ていうか犬夜叉はあんまり関係ないよ。」
呆れたように言った珊瑚だったがすぐくすっと笑って、甘えるように法師の右腕に絡みついた。
「!?」
「妬いてくれてるの?」
そう言って小さく首をかしげて下から己を覗きこむ珊瑚はあまりに可愛い。
「本当に…何があったのですか?」
「ふふ…これはね、ぎゃっぷっていうの」
「ぎゃっぷ?」
「うん」
弥勒は珊瑚の顔をしばらく見つめていたがふっと笑みを浮かべて、珊瑚の耳元に唇を持っていき囁いた。
「その話詳しく聞かせてください」
そう言うや否や、そっと珊瑚から身を離し足元にあった小石を拾い上げると、思いっきりふりかぶり土手の上に投げつけた。
「?」
何かうめき声が聞こえた気がしたが、珊瑚が疑問を口にする前に弥勒は彼女の腕を取り、小さな橋を渡り、川の向こうへ連れ去ってしまった。


「…ほっんと弥勒さまギャップあり過ぎ。」
土手の上で小石がクリーンヒットした犬夜叉が額を抑えながら呻いているその横でかごめは苦笑した。
七宝と雲母がしゃがむ犬夜叉の足元で同情の眼を向けていた。
「珊瑚ちゃん関わると普段とは別人になっちゃうんだから…」
ほっと溜息をついたかごめが犬夜叉たちに頬笑みを向け
「行こうか」
と言って立ち上がると、犬夜叉もぶつぶつ言いながら立ち上がり三人と一匹はその場を後にした。

しかしそんなかごめは知らない。
弥勒と珊瑚には、二人きりになった時お互いにだけ見せる、普段からは想像もつかないギャップがあることを。






あとがき
ギャップギャップ言い過ぎてゲシュタルトが崩壊しそうですぜ旦那/(^o^)\
最初は「優しい面と不良な面を持ち合わせた弥勒のギャップかっこいいよね!」
って珊瑚ちゃんが惚気る話にしようと思ったのにどんどん方向性がおかしなことに…
これだからノープランな人間は←
最後までお読みいただきありがとうございました


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