ほ 仏の顔も三度
一
「嘘だ」
「嘘じゃありません」
「騙されやしないよ」
「…信じてくれないんですか?」
は〜とため息をつく弥勒の表情がわざとらしく、珊瑚はさらに苛立ちを募らせる。
「あれはただあちらの妻女殿が重そうに洗濯物を抱えていたので運ぶのを手伝って差し上げただけです。」
「運ぶだけにしちゃ戻るのが遅かったっ!何してたのさ!」
「ついでに洗濯も手伝ってあげたんです。何しろ嫁入りしたてで不慣れだったようですから。」
そう言われるとそうなのかもしれない。
だが、自分を差し置いてよその女と二人きりで何かをしていたというだけで珊瑚には許しがたいものがある。
例えそれが洗濯だろうとなんだろうと。
「もういい知らない!」
「あ、おい珊瑚!」
その気持ちを分かってもらえないもどかしさと、こんなことくらいで腹を立てる自分に嫌気がさし、その場を走り去った。
二
「はぁ馬鹿みたい…」
どうしてこんなもやもやした気持ちを抱えなければならないのだろう…
苦しい。
「はぁ」
「もし、そこのお方。」
珊瑚が膝を抱えて空を睨んでいるとふと背後から声がかかった。
面倒そうに振り返ると旅装束の男が立っていた。
「どうかなされたか?気分が優れないのですか?」
「…いえ、大丈夫ですのでお気になさらず」
珊瑚が固い声で答えると、男は心配げによってきた。
「そんな風には見えません。…何かふさぐことでもあったのでは?」
珊瑚はいらだたしげに男を見やると低い声で呟いた。
「あんたには関係ないことだから」
「…」
「…」
「…あなた」
「…」
「とても美しいですね」
「…は?」
まじまじと珊瑚の横顔を眺めていた男が感嘆する。
そしておもむろに珊瑚の肩を抱き寄せた。
「ちょ、何すっ」
珊瑚は慌てて男から離れようとするもなかなかどうしてその手は離れない。
「どうですか、今宵私と…」
ぶちぶちぶち
「何をふざけて…」
この軽率な口ぶりが、女とみれば口説きまくる彼の法師と重なり珊瑚の苛立ちは頂点に達する。
が、一発殴ってやろうと拳を温めていた時、急に肩の重みがなくなった。
「て、え?」
「大丈夫か、珊瑚!」
「法師様?」
先ほどまで男がいた場所に法師が佇んでいる。
そしてその足元にはあわれ、先ほどの男が地に沈んでいた。
三
男に憐みの視線を向けたあと、再び法師に視線を戻す。
が、彼の顔を見た途端先ほどの怒りがふつふつと湧きだす。
「ふん」
珊瑚がそっぽを向き、立ち上がろうとしたとき―
「あなたたち…よくも私の邪魔をしてくれましたね!」
「!」
「珊瑚!」
どこからか伸びてきた触手に珊瑚の体が捕らえられた。
そしてぎりぎりと締め付けている。
「んんっ」
珊瑚が苦しげに呻く。
その触手は弥勒の足元にいたはずの男から伸びていた。
「やはり!妖怪であったか!」
弥勒は吹き飛ばされ倒れていたが、すぐ体制を立て直し、男に破魔札を投げつけた。
「ぎゃ〜〜〜〜」
もともと妖気の薄い妖怪だ。
その一撃でぼろぼろと触手が落ちる。
拘束が解かれ、力を失った珊瑚の身を弥勒が受け取った。
そしてすかさず錫杖を男に向けた。
「お前が人に仇成す妖怪なら成敗してくれる!」
「クソ、覚えていなさい〜」
と言うと妖怪は、目元に涙をためたまま、ボロボロの体を引きずって去って行った。
弥勒は小さくため息をつくと、腕の中の娘に目を向けた。
四
「大丈夫ですか?」
「…ん」
頬を軽くたたくと、珊瑚の意識が返ってきた。
「あたし…」
「あまり、心配させないでください…」
弥勒は珊瑚をぎゅっと抱きしめた。
だが、娘の様子がおかしい。
「…さんご?」
「…らい」
「え?」
「嫌いだ。法師様なんで大嫌いだ。」
そう呟く珊瑚の表情は険しい。
「すまなかった。許してくれ」
「…」
「私がおなごと出歩いていたのが気に入らんのだろう?」
―何で…分かってくれないの?
珊瑚は法師の手から逃れ、ふらりと立ち上がった。
「あ、あまり動くのでは…」
「…ほっといて。」
よた、よた、と歩き出す珊瑚を慌てて法師は追いかける。
小さな石に躓きかけたところを後ろから抱きかかえた。
「触らないで!」
「と、言われても…あ、こら暴れるな」
なおも珊瑚は激しく暴れる。
「離せ!離して…!」
泣き叫ぶ珊瑚。
「どうせ、どうせ…あたしのことなんてどうでもいいんだろ?!」
そのセリフに弥勒が括目した。
「そんなわけがあるかっ!!!」
思わず怒鳴りつける。
「!」
地から響くような声に珊瑚の動きがピクリと止まる。
「!、大きな声を出してすまない…」
少し震えるような珊瑚の横顔に、弥勒が我に返った。
不安げにその横顔を覗き込むと憂いた表情がはっとなった。
そして、濡れた瞳で睨みつけると、弥勒の腕から逃れ掌を振り上げた。
弥勒は張り手を甘んじて受けようと歯を食いしばった。
が、次の瞬間訪れると思った痛みは訪れず、代わりにその手が己の首に回され、ぎゅっと抱きつかれた。
「!?」
弥勒が混乱して目を開けると真っ赤にそまった耳元が視界に入った。
「…ごめん。」
「…な、なぜ…怒っていたんじゃ…」
ううん、と珊瑚は首を振る。
「…ごめん」
もう一度謝罪の言葉を述べるとゆるりと体を離し法師の目を見ながら続けた。
「あたし法師様の優しさに甘えてた。」
「?」
「いくら拗ねても、怒っても、暴れても、法師様は笑ってあたしに付き合ってくれていたのに…」
「いえ、それも元をただせばすべて私が悪いのですから、お前が気にすることはありません」
「で、でも…あたし、法師様を困らせることばかりして。子どもみたいにさ」
「…珊瑚になら何をされても構いませんよ。」
本当に、分かっているのかいないのか…そんな慈悲深い瞳で見つめられたら何も考えられなくなる…
ドキドキと高鳴る心臓の音に耐え兼ね、珊瑚は視線をそっと逸らせた。
「さあ、戻りましょう。先ほどの妖怪に捕まった時、怪我をしたでしょう?」
「し、知ってたんだ。」
「当たり前です。」
弥勒はニコリと笑って歩き出す。
が、それを引き留める声。
「…あの…」
「何ですか?」
優しく振り向いた弥勒の目に映るのは、頬を染め、言いよどんでいる様子の珊瑚。
「あの…苦しいね」
「ん?」
(恋って苦しい)
何でもない、と首を振る。
「あの、それと、取り消したいんだ。その…『嫌い』って言ったこと…」
意を決して告げた珊瑚は、ちょこんと袈裟のはしをつまみ、うるうると上目づかいに見つめている。
「おまえ…」
「きゃあ!」
たまらずきつく抱きしめる。
(それは反則だろっ)
可愛い恋人にいくら暴言を吐かれようと暴力を振るわれようとでれっとしている弥勒も、甘えられるとすぐ陥落してしまうのである。
珊瑚は大好きな人の腕の中で、幸せそうにその胸に頬を摺り寄せた。
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弥勒は三度も我慢できず!