と 豆腐にかすがい


何度言っても聞かない。

「何度言ったら分かってくれるんですか?」
「だからあたしは大丈夫だって」
「珊瑚だって若い娘なのですよ?」
「あたしはそこら辺の娘とは違うって、法師様が一番分かっているだろう?」
(だからそういうことではない…)
もどかしげにため息をついた弥勒は眼前で眉を寄せている娘の手を徐にとった。
「なっ」
「かように美しい娘を男たちが放っておくわけないだろう?」
切なげにそう告げるも、むしろ珊瑚には胡散臭く映ったらしい。
ふん、と手を振りほどいてその男どもの巣窟に入って行ってしまった。
「あ、こら待ちなさい!」
慌てて弥勒も珊瑚の後を追う。

珊瑚の向かった路地裏では妖気や邪気とは違う、嫌な空気が漂っていた。
遠くで派手な喧嘩の声や、下衆な笑い声が時折聞こえる。
(くそ、何だこの道迷路みたいだ…)
すぐにその後を追ったはずなのに思った以上にその道は入り組んでおり目当ての娘が見当たらない。
行き止まっては引き換えし、また行き止まっては別の道を探すの繰り返し。
募る焦燥感に苛立ちながら奥へ進むも、このような場所で袈裟を身に着けたような人物が長いことうろつけるはずもなく。
「何だい坊さん、俺らの島に勝手に上り込まれちゃ困るねぇ」
とある角を曲がったところで後ろから声をかけられる。
無視して前進しようとするも、たちまち殺気をまとった男たちに囲まれた。
「…すまんが、そこをどいてくれ。連れを探してるんだ」
「連れ?」
「…心当たりでも?」
「いや、知らねえなぁ」
一人がにやりと笑いながら仲間に同意を求めると「ああ、知らないな」「髪の長い娘なんて見ていないな」「ああ、紅白の着物なんてな」と、明らかに挑発するようなセリフを返してくる。
弥勒は大きく息を吸い、暴れそうになる精神を鎮めると、彼らがそこに居ないとでもいうかのように、まっすぐ進みだした。
「…この野郎っ」
襲いかかってくる男たちの攻撃を華麗に避け、それでも引かない奴らには少々拳をお見舞いする。
鮮やかで無駄のない動きで、かつ相手の被害を最小に抑えている。
が、しかし。
「きゃーー」
「珊瑚!」
聞こえた悲鳴を振り向けば、美しい黒髪を乱雑に引っ張られ、白い喉元に刃物を突きつけられている珊瑚の姿が目に映った。
その腕には小さな子どもを守らんと必死に抱きかかえている。
子どもを奪還し、逃げようとしたところを捕まったらしい。
悲鳴を上げたのは腕の子どもだったようだ。
いくら珊瑚が妖怪退治屋の手練れでも、子どもを抱えながら体格差のある男に身動きを封じられると思うように動けない。
「へへへ。お連れさんはあちらですかい、坊さん?…女の命が惜しくば大人しく殴られろ!」
先ほどコケにされた腹いせに幾人もの男が再び殴りかかってきた。
―それは、一瞬の出来事だった。
小さく舌打ちをした弥勒は、手にしていた錫杖を珊瑚を捕まえている男の額に命中させ、殴りかかってきた男の一人のとらまえると、その男を振り回して他の男を次々となぎ倒していった。
確かに弥勒は強いし、力もあるが、基本は錫杖や法力を使った戦法を得意としており、犬夜叉のような怪力技で相手をねじ伏せることは滅多にない。
こんな力を持っていたのか、と珊瑚はその姿に釘付けになっていたが、倒れた男のうめき声を聞き我に返った。
素早く弥勒の元へ駆けて行く。
体が自由になればこちらのものだ。
「法師様、はいよ!」
片手に子どもの手を引き、もう片方の手で拾い上げた錫杖を渡す。
倒しきれなかった残党や、後から駆けつけてきた仲間たちを僅かな時間ですべて倒すと、子どもを連れて二人は路地をあとにした。


子どもの親は相当名のある人物だった。
怪我一つなく無事帰ってきた幼いわが子を見て泣いて喜んだ。
二度とあのような危険な場所には近づかないように言い聞かせているのを後ろに聞きながら、弥勒と珊瑚は提供してもらっていた部屋に引き返した。

「…怒ってるの?」
部屋に戻るなり、口を開いた珊瑚が恐る恐る尋ねる。
帰り道から今まで会話という会話が全くなかったのだ。
「…」
弥勒は背を向けて貰い受けた金品の整理を行っている。
珊瑚は眉をひそめてその無言の背中を見つめた。
「ねぇ…ごめんってば。私が言うことを聞かずに先に進んでしくじったから怒ってるんだろ?」
「…」
「でもさ、あたし一人だったからあいつらも子どもの居場所にたどり着くまで泳がせてたんだと思うんだよね…」
「…」
「子どもは無事だったし。あたしたちも大した怪我はしてないし…結果的には良かったと思ってるんだけど」
無邪気な台詞に弥勒の手が止まる。
その背中から漂う怒りオーラが増幅したようにも思われた。
「法師様…」
ペタリ、と珊瑚がその場に座り込んだ。
しばらく目の前の背を見つめていたが、やがて躊躇いがちに両手を彼の背に置いた。
そのまま前傾し、額を押し付ける。
「…ごめんね。」
小さく告げた瞬間振り向いた弥勒が珊瑚を強く抱きしめた。
その腕の力は半端ではなく、抱きつぶされそうな勢いだ。
珊瑚は苦しげに喘ぐ。
「ん…」
「…心配した。」
低く唸るような声で法師が呟いた。
その腕の強さがそれだけ心配をかけたのだと思うと申し訳なさに胸がいっぱいになった。
「お前が強い娘だとわかっている。腕の立つ退治屋だということも。だが、そうじゃない。そうじゃないんだ…分かるか?刃物を突き付けられたお前を目にした時の俺の気持ちが」
さらに腕の力が強まり、怒りで震える弥勒の腕の、その震えが伝わってきた。
「お前を危険に晒す…お前に触れるすべてのものが許せなくて、一刻も早くこの手に取り戻したくて…気づけば男どもをなぎ倒していた。」
「…」
「…無事でよかった」
腕の力が少し緩むとともに安堵のため息が珊瑚の耳たぶを掠めた。
「法師様…」
珊瑚は「大丈夫だって!」と強がりを言いたかったが、弥勒が本気で肝を冷やすような思いをしていたのが伝わったため何も言えなかった。
自分の実力とか、相手の凶暴さとか、そういう度合の問題ではないのだ。
自分が彼にどれだけ思われていて、彼がどれだけ本気で自分を大切にしてくれているのか。
恋愛ごとに鈍い珊瑚にも流石に分かった。
『彼の女』―不図そんな言葉が頭に浮かぶ。
もう自分は彼のものなのだ。彼の手から離れてはいけないのだ。
そんなことを考え、珊瑚は耳を真っ赤に染め上げた。
嬉しくて―恥ずかしい。相当恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。
そう思うともう珊瑚にはこの体制は耐えられない。
「バカッ!何らしくないこと言ってんのさっっ!!」
「え〜さんごちゃ〜ん???」
気づけば法師は突き飛ばされているのであった。


いくら言い聞かせても、頭で理解しても、意地っ張りの少女には大人しく守られているなどということはできないのである。



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いくら押しても思い通りにはいかないようです。
アウトローな雰囲気を出したかった。
雲母はじめほかの仲間たちはどこに行っちゃったんでしょうねえ(ご都合主義)




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