君に降参


「珊瑚ちゃん、行ってくるね。」
「ああ、ごめんね。怪我なんかしちゃって」
「気にしないでって。」
「やはり、珊瑚。私も残って…」
「雲母、法師さまをよろしくね。」
「みー」
「珊瑚…」
現在一行は、山の中にいる。
明るいうちにと、食料やら焚き木やらを探しに行った仲間を見送って珊瑚はそっと腰を下ろした。
「っ…」
怪我をした足が痛む。
仲間たちはたいそう心配していたが、これくらいの怪我は日常茶飯事で、珊瑚の体力だとすぐに治る自信があった。
「はー…」
痛みからではなく、怪我をしたという不甲斐なさから一人小さくため息をついた。
釈然としないのはそれだけが原因ではないのだが…

「んだよ、情けねーな。」
…一人ではなかった。
頭上から降ってきた声になるべく冷静に答える。
「人間ってのは、ホント弱っちいのな。」
少々イラつくが、相手をしてはいけない。
(鋼牙(こいつ)はこういうやつなんだ。無駄に挑発してくる―主に犬夜叉にだけど。)
翠子の意思に支配されたまま妖狼族の先祖の加護を使ってしまった鋼牙は、先日から犬夜叉たちと行動を共にしている。
「あたしはこれでも人間の中では強い方なの。だからこんな怪我、平気」
「ため息ついてただろう」
「あれは痛かったからじゃない。怪我を負ったことが悔しかったから。」

ストン

「ふーん、俺ならあんな雑魚一発だけどなー」
葉を散らしながら、鋼牙が静かに降りてきた。
「何?やる気?」
激しく睨みつけて来る珊瑚を、鋼牙はじろじろと見ている。
その様子はひどく珊瑚を苛立たせた。
「怪我人叩くなんざ、俺の趣味じゃねぇ。しかも女だしな。」
「バカにするな!」
自分でもよく分からないながらもイライラしているのに加え、気に障る鋼牙の物言いについに限界が来た。

―こういうときだけ、女扱いするな

「匂い玉!」
「ごほっごほっ」
鋼牙が盛大にむせた。
「おい、きたねーぞ!」
「別に汚くないね。あんたみたいに鼻の利くやつには匂い玉これが常套手段だもの。」
珊瑚はツンとした表情で顔をそむける。
「てっめー」
鋼牙が腕を振り下ろした。
間一髪で避けた珊瑚だったが
「殺す気!?」
「俺が本気出してたら、お前に避けられるかよバーカ」
「…」
「?」
「…かごめちゃんには絶対こんなことしない癖に!」
「当たり前だろ…って、おい!」
走り去る珊瑚を引きとめようとした鋼牙だったが、その必要はなかった。
珊瑚は再びこちらに向きなおったからだ。
ただし、その手に大きな得物を持って。
「飛来骨!!」
「はっ」
狭い森の中を鮮やかに舞う骨の武器も鋼牙が避けるのには何の苦もない。
「ちっ」
「大体、かごめはそんな物騒なもん振りまわさねぇからな」

ぶん

再び無言で飛来骨が放たれたが結果は同じだった。
しかし、珊瑚の右手に帰ってくる前にそれはタンと音を立てて地に落ちた。
「あ…」
いつの間にか、珊瑚の目の前に鋼牙が立っている。
「くっ」
「…ん?」
「…何さ」
「お前、結構見れた面してんな。」
「…は?」
「かごめ程じゃないが」

…ほら、また

そう、最近珊瑚がイラついていた―というより落ち込んでいたのはこれ。
鋼牙が加わってからこの方、ひどく女として劣っている事実を突き付けられている気がして仕方がない。
日々かごめを巡って繰り広げられる抗争に呆れる一方で、かごめに羨望を感じていたのもまた事実だった。
かごめちゃんは、すごく女の子として扱われている、と。
男に言い寄られたいとかそういう不純なものではない。
ただ…弥勒や七宝と一緒に、男二人をなだめる自分が時々惨めになる。
「おい、どーした?」
―そんな風につまらなさそうに見るな
別に犬夜叉や鋼牙に女扱いされたいわけではないのだが。
「…ってる」
「あ?何か言っ…」
「そんなこと、分かってるよ!!」

どーん

珊瑚は思いっきり、鋼牙を押した―つもりだったが。
相手は何と言っても妖怪である。
その名の通り鋼のような肉体を持ち合わせている。
ただでさえ怪我をしているうえに足場の悪い場所である。
鋼牙がびくともしなかったおかげで、珊瑚は反動で逆側に傾いた。
「おっと」
とっさに鋼牙が腕を珊瑚の背に回したおかげで、転倒は免れた。
珊瑚も彼の肩と腕にしがみついている。
「おい、だいじょ…ん?」
―何だ、この殺気?
鋼牙はただならぬ気配に思わずかばうように珊瑚を引き寄せた。
「ちょ、ちょっと…」

「はうっ!」
一瞬、鋼牙からびりびりと光が放たれたかと思うと、突如その場にくずおれた。
「え、何!?」
目の前で起きた事態を把握できず、とりあえず鋼牙の様子をうかがおうとした時、鋼牙の背後に立つ人物に気付いた。
「法師さま!」
「…」
「てめぇ〜」
徐に起き上がる鋼牙と何故かものすごい殺気を漂わせた法師を交互に見ながら珊瑚は尋ねる。
「法師さま、何かした…?」
すっと、法師の右手が持ち上がり、その指に挟まっている数枚の紙切れが目に入った。
「え!?破魔札?ちょっと何でそんな酷いことを…」
「まったく、お前ら本当に人間かよ。乱暴だな。」
鋼牙は頭を押さえながら去っていく。
「どこ行くのさ」
「かごめ探しに行く」
「…」
弥勒が未だ破魔札を携えたまま睨みつける。
が、そんな法師を横目に、鋼牙はその場を立ち去った。

「…珊瑚」
「焚き木集めに行ったんじゃなかったの」
「大きな物音が聞こえた。妖が現れたのかと思って戻ってみれば」
「あ…そう」
「あ、そう。じゃない」
声音が低い…怖い
「なんか…怒ってる?」
「…」
弥勒はなおも無言で珊瑚を睨み続けている。
「動けるなら、焚き木集めるの手伝え…とか?」
まゆ毛の角度が上がった気がする。
「では…ないよね。大人しくしてなかったから怒ってるの?平気だよこのくらい」

怒りを押し殺したような声で弥勒が呟いた。
「お前、鋼牙と何をしていた」
「何って…」
喧嘩をしていた―とは言えない。
そんな女性らしさの欠片もないこと。
「何だっていいだろ」
「ほぉ、俺に言えねぇことか」
「そんなんじゃない。別に大したことじゃないもの」
そんなことあるわけない。鋼牙は自分を女とは意識していない。
「なら言えるだろう」
「昼間の妖怪退治の話してただけだよ」
「なぜ抱き合っていたのかと聞いているんだ!」
急に声を張り上げた弥勒に珊瑚はビクッとなって一歩後ずさったが弥勒の科白が引っ掛かった。
「…え?抱き…?抱き合ってなんかないけど。」
「言い訳は無用だ。俺はこの目で見た。」
珊瑚のこととなると途端冷静さを失う法師である。
一方、ありもしないことで叱られる珊瑚はいい迷惑である。
しかし、まじめな珊瑚は法師が現れる前のことを必死で思い返した。
「…あー違うよ。あれは、あたしが転びそうになったのを助けてもらっただけ」
「…」
納得していなさそうなその表情に、珊瑚は迷った挙句、法師から顔をそむけそれに至る経緯をぼそっと話し始めた。

「それでお前、飛来骨まで持ち出して…」
呆れた様な声音に珊瑚がぴくっと反応し、そっぽを向いてしまう。
「珊瑚?」
「…可愛くない、って思ったんだろ」
「はい?」
「もういいから、放っといて!」
珊瑚は法師に背を向けて駆け出そうとするが、怪我をしている方の足で思いっきり地面を蹴ってしまったため、バランスを崩して転んでしまった。
普段の珊瑚ならそんな失敗、絶対犯さないのだが。
「珊瑚!」
「くっ…」
―かっこ悪い
可愛くない上に格好も悪いのか。
珊瑚はこの上なく惨めな気持ちになり涙がこみ上げる。
―泣くものか
これ以上醜態をさらすまいと必死に涙をこらえ立ち上がった。

ふわっ

「うわぁ」
突如珊瑚の体が浮かび上がった
「法師さま!」
弥勒が珊瑚を抱き上げたのだ。
「怪我…悪化したんじゃないか?」
「そんなことない…」
強がってはいるが、足に負荷がかからないこの状況でもじんじんと痛む。
「…今日はもう歩くな。私が運びます」
「そんな…!」
反論したかった珊瑚だが、有無を言わさぬ彼の一睨みに大人しく身をゆだねる以外為す術はなかった。

弥勒は、珊瑚を元いた位置に座らせると、自分が放り投げた焚き木を回収し戻ってきた。
焚火にそれらをくべると、彼は珊瑚の後ろに回って座りそのまま抱きしめた。
「ちょ!何すんのさ!」
「お前が、ここ数日…いや、鋼牙が加わってから愁えていたことは知っている」
珊瑚はこの体勢とその言葉に恥ずかしくなり、俯いた。
「私は以前言ったはずだ。お前は私の腕の中にいればいい、と。そしてお前は了承したはずだ。」
珊瑚もそれは覚えている。
いつもの浮気に酷く取り乱してしまったときに、彼がかけてくれた言葉だ。
しかしなぜ今それを言うのか分からず、珊瑚はそっと顔を上げ振り返った。
「…それが?」
「お前は私のものなのだから、他の男にどう見えようと関係ないだろう、ということだ」
珊瑚は大きく目を見開いて、彼を見つめる。
珊瑚の悩みをどう理解しての発言かは分からない。
ただ、その低く心地よい声が、優しい腕が、熱い瞳が、示していることは分かる。

法師様はあたしを大事に大事に扱ってくれている―女として。

本当に、本当にそうだ。この人にだけ、見ていてもらえればいい。
霧がさーっと晴れていくような心地がした。
「はー…本当は、他の男の眼に映らないように隠してしまいたいが、そうもいかんしな。」
弥勒はため息をつき、いつもの穏やかな口調に戻った。
珊瑚も思い出したように頬を染める。
「もう。法師さまの冗談。」
「冗談ではありません。特に鋼牙のやつ、犬夜叉に似てるからな。二股なぞ平気でかけかねん。現に今日も危なかった。」
「あれは、たまたまだってば。大体あたしは女扱いされていないもの。」
先ほどまでの愁えた表情はないが、苦笑を浮かべている。
弥勒はさらに盛大なため息をついた。
「お前ね…お前を女扱いしない男などいるものか。犬夜叉だって、時々お前をいやらしい目で見ている。」
「何言ってんのさ。かごめちゃんを見てるんだろ。」
「…まぁいいです。珊瑚が自覚してくれないのなら、私が守るのみです。」
「過保護だよ」
呆れたような口調ながらも明らかに嬉しそうな珊瑚を見て、弥勒も苦笑するしかなかった。




近くの茂みには五対の目。
「言い放題じゃな」
「みぃ〜」
としみじみ言うのは七宝と、雲母。
「ほんと…」
「弥勒の野郎言わせておけば…」
「けっ」
複雑な表情のかごめと、顔を赤くしながら青筋を浮かべる犬夜叉。
そして鋼牙は呆れ顔。
そんな鋼牙を犬夜叉が睨みつける。
「大体てめーが珊瑚にちょっかいをかけたのが始まりだろうが」
無論耳の良い犬夜叉には飛来骨の飛び交う音が聞こえ、魚獲りもそこそこに即座に駆けつけてことの始終を見守っていたわけである。
「はっ?そんなもんかけてねーよ。言っとくが俺はかごめ一筋だ。」
そう言って両手を握りしめてきた鋼牙のそれらを無言で押し返しかごめはそっと立ち上がった。
「かごめ…?」
そしてかごめは男たちには一瞥も与えず徐に茂みを抜け出した。


突如聞こえてきた犬夜叉の怒声に驚いた珊瑚は弥勒の腕から逃れ怪我に響かぬようゆっくりと立ち上がった。
「い、犬夜叉…?」
苛立たしげにため息をつく法師の様子から察するに彼はその気配に気づいていたらしい。
だったら早く言ってくれりゃいいものを、と苦言を呈そうとした時、犬夜叉の声が聞こえた方からかごめが現れた。
そして思いつめたような顔でずかずかと歩み寄ってくる。
「あ、あの」
今の場面を見られていたのであろうと、あたふたする珊瑚をかごめはじっと見つめた後、突然がばっと抱きしめた。
「うわっ」
「かごめ様!?」
流石の弥勒も驚いて立ち上がる。
背後の茂みからもがさがさっとド派手な音が聞こえた。
柔らかな肢体をぎゅっと押しつけられ、先ほどまで抱きしめられていた弥勒とは明らかに違うその感触に、それはそれでなんとなく珊瑚がドキドキしていると、 少し下から見つめて来るかごめが声を上げた。
「珊瑚ちゃん!」
「はいっ」
「珊瑚ちゃんはあたしが守ってあげるから!」

「は?…って何から?」
「だって何だか犬夜叉も鋼牙くんも危険みたいだし…」
そっとかごめは冷たい視線を背後の二人に向け、近くで立ち尽くす弥勒に移す。
「ねぇ弥勒さま?」
「え?あ…はい。その通りです。」
女同士で抱き合う恋人を複雑な気分で見ていた弥勒が我に返った。
そして徐に少女二人の傍に近づく。
「その通りなのですが、珊瑚は私が守りますのでご安心を…」
と言うと、弥勒はかごめと珊瑚の横から両名の肩に腕をまわした。
途端左腕からはぞわっと身を震わせる感覚、射るような殺気が右腕と背後から。

次の瞬間には、右側からエルボーをくらった弥勒が腹を抱えて呻いていた。
しかし、くらわせた珊瑚はそんな弥勒を完全に無視して再びかごめに目を向けた。
そしてその小さな体を抱き返す。
「あたしは大丈夫。法師さまが適当なこと言っただけだからさ。それよりもかごめちゃんの方が危ないよ、今みたいに。」
「まったくだ」
いつの間にか傍に寄ってきていた犬夜叉と鋼牙が珊瑚に加勢する。
「何を言っているんですかお前たち。」
弥勒は溜息をつくと抱き合う二人を優しく引き剥がし今度こそ珊瑚だけを抱きとった。
「ちょっと…」
戸惑う珊瑚に微笑みかけ、訝しげな視線を寄越してくる三人(おもに男二人)に向かってことさらゆっくりと告げた。
「私と珊瑚は、相思相愛なんです」

「…ど、どういう意味でい!」
はっとした犬夜叉が叫んだ時にはすでに弥勒は、先に魚を焼いていた七宝と雲母の横で優雅に食事を始めていた。
「俺だってかごめと相思相愛だ」
大真面目に鋼牙がつぶやき、そしていつもの喧嘩が始まるのである。

黙してしまったかごめはちょっぴり憂い顔である。
実のところかごめは、犬夜叉と鋼牙が争っているとき、妙に浮かない顔をしている珊瑚には気づいていた。
そしてそのなんとなくの理由も。
(正直…あたしは珊瑚ちゃんの方が羨ましかったけど…)
鋼牙の言動に犬夜叉がいちいち妬いてくれるのは嬉しいが、自分が置いていかれているような感じがあった。
そばで息ぴったりで突っ込んでいる弥勒と珊瑚を見ると余計にそのように感じる節があったのだ。
(だけど…犬夜叉も鋼牙くんもあたしを大事に思ってくれてるんだもんね!)
ぱんっと両手で自分の頬をたたき、きりっとした表情を作る。
「はいはい喧嘩はそこまで!途中で来ちゃったから、魚人数分ないでしょ?さっさと獲りに行くわよ!」
それでも喧嘩を止めない二人だったが、かごめが息を吸って口の形を「お」にしたところで犬夜叉がぴたりと黙り、なんとか収拾した。
「七宝ちゃん、雲母も悪いけど、水汲んできてくれる?カップラーメン作るから。」
そう言って魚を食べ終えていた小さな妖たちを立ち上がらせ、歩き出したかごめは一瞬振り返り
「弥勒さまは珊瑚ちゃん見ててあげてね?」
と意味ありげにウィンクをしたのであった。

「少し酷いことを言ってしまったかな…」

―私と珊瑚は、相思相愛なんです

「ん?」
「いや…」
首を傾げる珊瑚に弥勒は苦笑を返した。
「さ、お前も冷めぬうちに食べてしまいなさい」
「うん」
(まぁかごめ様も最後は満面の笑みを浮かべていましたし)
そう、かごめは珊瑚の恋を一番応援してくれている―自分の恋に多少難があろうとも。
(安心してください、珊瑚の恋は…)
「大丈夫ですよ、私が守りますから」
「まだ言ってんの?」
ほんのり赤らめた頬をもぐもぐ動かしながら珊瑚は弥勒の顔を見上げる。
弥勒はふっと笑うとその頬に口づけた。
驚いて盛大にむせた珊瑚の背をなでる弥勒の表情は多分に優しさを含んでいて…


男女が入り混じるこの一行、どうやら絶妙な均衡を保っているらしい。
(俺が加わって何か変わったのだろうか…)
川に足を踏み入れながらふっと鋼牙が顔を上げた。
目の前で何か言い合っている犬夜叉とかごめも、
あの法師と退治屋も、危ういようで切り崩せないような…
(ま、負けねーけどな)
「見ろ犬っころ!俺の捕まえた魚がいちばんでけぇぞ!」
おーすごいと狐のガキが目を輝かせている。
たまにはこんな穏やかな時間も悪くない、と思う鋼牙であった。





あとがき
微妙に当サイト「こんなに僕を切なくさせてるのに」の設定を引っ張ってきましたてへぺろ。
珊瑚ちゃんが幸せ者でかごめちゃんが不幸とかそういうことではないのですよ(慌)
法師も珊瑚には敵わないっていう降参だったり
かごめちゃんたちが弥珊にあてられて降参だったり
でも本当は鋼珊→降参から来てるなんて言えないけどね!
犬夜叉と鋼牙くんを冒とくしてすいませんでした!!


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