綿花-cotton wool- (前篇)


珊瑚は猛烈にいらついていた。
それはもちろん件の法師のことで。

かごめの試験が近いのと犬夜叉が怪我をしたというので例のごとく楓の村に帰ってきた一行だったが、
また例のごとく弥勒の周りには若い女が溢れている。
一体あのバカ法師は何がしたいのだ。
自分と夫婦になる約束をしておいて、どうしてその目の前でああも女に囲まれへらへらできるのか。
せめて陰でやれ。いや、こそこそやられる方がたちが悪いか…いやいや、そういう問題ではなくって。
―にしても。
法師も法師だが、周りの女もずいぶん楽しそうである。
手を握られたり、色っぽい視線をむけられたりしても、みな少々顔を赤らめるくらいで、きゃっきゃっと笑い、法師の戯言をかわしている。
―女って普通はああなのかな?
特に親しくもない男ともああやって楽しく会話ができたりするものなのだろうか。
今、思い返してみれば法師の戯れを嫌がる女を見たことがない気がする。
自分だったらあんな胡散臭い男、せいぜい睨みつけるか無視するかしてさっさとずらかるだろう。

―もしかして私って珍しい?

そして法師に対して一つの疑念が生まれる。
「…もしかして」
そう呟いて首を振る。
―そんなこと…ないよね?
だが、一度頭によぎった嫌な考えはなかなか消えてくれない。
先ほどまでのいらだちはどこへやら。珊瑚の頭の中は不安に覆われていた。

―法師さま、私みたいな女、見たことないから…ただ、それだけなんじゃ…?

「珊瑚ちゃん」
「うわっ」
弥勒のことで頭がいっぱいで、背後から近づくかごめの気配に全く気付かなかった。
「どうしたの、考え込んじゃって…ってまああれのことよね?」
かごめは呆れたようにいまだ村の娘たちと戯れている法師の方に視線だけを向ける。
「う、うん…まあそうなんだけど、ちょっと違うっていうか…それより、かごめちゃん国に帰ったんじゃなかったの?」
「あー、犬夜叉ひどいけがしてたでしょ?薬とか包帯取りに帰ったの。タオルとかも新しいの持ってきたから珊瑚ちゃんも使ってね?」
「ああ、ありがとう」
そういえば、犬夜叉とけんかして一人で井戸に飛び込んだんだっけ。
でも、やっぱり心配してたんだな。
「ねえ、それより弥勒さまのこと」
「え?」
「いや、さっきちょっと違うって言ってなかった?」
「あ、ああ…」
「何かあったの?」
「いや…何かあったわけじゃないけど…」
明らかに哀しそうに俯く珊瑚の肩にかごめは優しく手を伸ばす。
「話、聞くくらいならできるよ。ね?」
かごめの優しい笑顔に、珊瑚は先ほどの考えを話した。

「だからさ、あたしだったらあんな風に慣れ慣れしくされても固まるか、逃げるか、怒るかだろうし…」
ていうか殴ってる気がする…とは口にしないのがかごめのいいところである。
「そういうのが法師さまには珍しくて…その…だから…」
続きを言うのが恥ずかしいらしく口ごもる珊瑚にかごめは優しく話しかける。
「分かったわ…じゃ、試してみましょう!」
「試す…?」

「そう!名づけて、弥勒さまと戯れよう作戦!」

「は?」
優しく微笑むかごめは楽しそうなのが隠し切れていない。
一方、珊瑚はこの楽しそうなかごめの作戦に嫌な予感しかしなかった。
「だ、か、ら!珊瑚ちゃんはこうしてああして…」
今の瞬間にどうしてそれだけ思いついたのか、かごめはまくしたてるように計画を話した。
「でもさ、そんなことして…き、嫌われたらどうするの?」
珊瑚は本気で弥勒が珍しい―つまり初心な反応の自分にしか興味を持たないと心配しているらしい。
もちろん、そんなはずないとかごめは断言できた。
珊瑚にそんなことない、大丈夫だと諭してやることもできただろう。
が、せっかく面白いことになりそうなのだ。このチャンス逃すわけにはいかない。

―きっと弥勒さま的にもおいしい展開のはずだわ!

「そうね…でも、弥勒さまがそんな男ならそれまでよ」
「え…?」
「そんな男と結婚したって幸せにはなれないわ…だって珊瑚ちゃんだって何時までも初心なわけじゃないだろうし…ここで、愛想つかされるなら、いつかつかされたってことでしょ?」
「…そうだね」
そう呟いた珊瑚の眼はひどく寂しげである。

―ちょっと言い過ぎたかしら?
「で、でもね珊瑚ちゃ」
「…分かった」
「ん?」
珊瑚の目は決意に満ち溢れていた。
「愛想つかされたってかまうもんか」
「へ?」
「あたしから逃げられると思うなよ」
「珊瑚ちゃん…?」
珊瑚は燃えていた。
「絶対もう一度振り向かせて、法師さまの子どもを産んでやる」
「…そ、そうよ!」
―珊瑚ちゃん、なんかテンションですごいこと言ってない?しかも、嫌われること前提だわ。
かごめはなんだか恥ずかしくなり珊瑚から目をそらした。
「かごめちゃんありがとう!行ってくる!!」
「…うん、がんばって!!」
そういってずかずか歩いていく珊瑚の背中を見送った。

「あのテンションなら何でもできそうね…」
普段の珊瑚なら考えられないが今の珊瑚になら弥勒にひと泡吹かせることができそうだ。
「て、なんか目的変わってるけど…そうだわ、メモメモ!」
かごめはリュックからノートとシャーペンを取り出し珊瑚の先ほどの言葉を一字一句違えずに書き留めた。



「もう、法師さまったら!」
木の根に腰をかけ手相見をしている弥勒の周りに明るい笑いは絶えない。
「いえいえ、冗談ではありませんよ〜はい、次の方」
次に並んでいた娘が無言で手を差し出す。それは実に自然だった。
「お!これはまた良い手相を…」
「…」
「…て、何をしている?」
弥勒は差し出された白い手を握ったままその手の主―珊瑚の顔を見上げる。
「何って、手相見てもらおうと思ってさ」
怒っていると思ったが、案外声音は穏やかで微笑さえたたえている。
が、それが逆に怖い。
「新手の戒めか?」
「違うよ。法師さまに手相を見てほしいの。」

ニコッ

―な、何だそのまぶしい笑顔は!愛らしいことこの上ないが…
珊瑚の思惑を思案しあぐねてしばらく沈黙が続く。
「ねぇまだなのー?」
「早くー!私も見てもらいたいんだから」
沈黙を破ったのは手相見の順番を待っている他の娘たちだった。
「あ、ああ。えーと」
―とりあえずここは大人しく言うことを聞いておこう
「本当にいい手相をしているな。今は辛くともその先必ず明るい未来が訪れるだろう」
と、珊瑚が喜びそうなことを言ってみる。
―どうだ?
「…」
珊瑚はいまだ笑顔でこちらを見つめている
―まだ何か言えと?いっそ、怒らせてみるか。
「だが、男難の相が出ているな」
「それ、冥加じいにも言われたことあるよ」
依然笑顔をたたえている。が、目が笑っていないのは気のせいだろうか。
―何を言えば正解なんだ?
弥勒は難しい顔で考え込み始めた。

珊瑚の手をしっかり握ったまましばしの時を経て、
弥勒は一つの結論にたどり着いた。
「分かった!あの言葉をもう一度言ってほしいんだな!」
「…?」
突然出した弥勒の素っ頓狂な声に珊瑚を始め村娘全員の目が点になる。
―えーい、やけくそだ!
弥勒はさもすごい発見をしたかのように大仰に続ける。
「おお!これは素晴らしい!!見なさいこの線を!この長さ!この太さ!これは将来多くの子宝に恵まれるでしょう!!!どうですかここは…」
とここで、珊瑚の両手をこちらも両手で握りなおす。
そしてゆっくり、ことさらゆっくりと続きを言う。

「私の子を…」

「それは…」
肝心なセリフを遮られた弥勒は口に「う」の形を作ったまま珊瑚を見やる。
「それは法師さまが私に子宝を恵んでくれるの?」
珊瑚は、一瞬目を伏せた後こちらをじっと見つめて、頬を赤らめ目をうるませてそんな言葉を言ってのけた。

「珊瑚…?」
この意外な反応に弥勒はともかく村娘の方はさーっと引いてしまった。
―何あの娘?
―ほら、楓さまのところの。
―法師さまと一緒に旅をしてるらしいよ
―何でも法師さまの…
そんな会話が小声で飛び交い全員が二人の関係を察知した後、クモの子を散らすように周りから人がいなくなった。


あたりが静けさを取り戻すと珊瑚は口を開いた。
「…二人っきりだね。」
「…珊瑚、いったいどうしたんだ?」
弥勒はいまだなお嬉々としてこちらを見つめる珊瑚への対応に困り果てていた。
「どうもしないよ…それよりさ、さっきの話」
「さっき?」
「だから、法師さまの子ども、たくさん産ませてくれるんだよね?」
そういいながら珊瑚は両手を握られたまま弥勒の隣に腰かけた。
「え、まぁそういう約束をしたが…」
―熱でもあるのか?それとも何かの妖術にかかっているのか?
弥勒は心配になって顔をぐっと近づけて珊瑚の目をのぞきこむ。
一瞬こわばったような気がしたがすぐにその緊張は消え去った。
「法師さま…」
何とも艶っぽい声で呼んでくれる。
超至近距離で見上げてくる珊瑚。
―な、なんだこの上目遣いはっ!!
そのきらきらと潤んだ瞳は風穴以上の吸引力ではなかろうか。
固唾を呑む弥勒。珊瑚の瞳から逃れられず思考は鈍って行くばかりだ。
―…もう素直にそのまま受け取ってもよいのか?
さっきまでの葛藤はどこへやら。そう思うと少し開いた艶やかな唇が気になってしょうがない。
しかし、自分が動くより先。
熱いまなざしに気づいたのだろう。
その唇が己のものに覆いかぶさってきたのだった。

重なっていた時間はごくわずかなものだったが、驚きに目を見張った先のその表情。
照れてそっぽを向いているはずの珊瑚のなんとも幸せそうな笑顔があった。
弥勒の中の理性とかそういうものが音を立てて崩れ去った。
「珊瑚…お前の笑顔を疑って悪かった」
そう言うと弥勒は握っていた手を荒々しく振りほどき、そのまま珊瑚を激しく押し倒した。
そして珊瑚の唇に貪りついた。




(後篇)



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