彼の名は弥勒。
職業は法師。
「法師様、主人のために経を上げていただいてありがとうございました」
「いえ、法師の務めですから当然です。」
今日も、人々に愛想を振りまく。

だが彼には裏の顔がある。
「や、やられた!家財すべて盗まれている…!」
「見張りのものはすべて倒れています!」
―鮮やかな手口、証拠は一切残さない。まさに風のようなその男…
「まさか、まさか、あいつが…!」
人は皆彼のことをこう呼ぶ。

『怪盗疾風(はやて)!!』


◆file.0〜Prologue〜



「はぁ?教育係?」
「うむ、そうじゃ。」
小判を数えていた弥勒だが、変わった依頼に思わず顔を上げる。
「その家は金持ちなのか?そこで、何か盗んで来いってことか?」
弥勒は師であり、早くに両親を亡くした弥勒の育ての親でもある夢心に問いを投げかける。
夢心も弥勒と同じく、法衣をまとっており、世間的には今二人がいるお寺の和尚ということになっている。
和尚であることに違いはないが、昼間っから飲んだくれて、ろくに和尚らしいことをしていないことだけが『ということになっている』と言われる所以ではない。
こうして、どこからか仕事を取り付けてきては『裏の顔』のほうの弥勒に、盗みやら詐欺やらをやらせている。
「ああ、金持ちは金持ちだ。なんせ殿様だからな。」
「はぁ、またたいそうなところを狙うんだな。で、依頼主は?」
「その殿だ。」
「…は?」
彼らは決して一般市民から盗みを働いたりはしない。
彼らが狙うは「悪人」のみ。
つまり、盗人から盗品を奪い返したり、詐欺師を詐欺にかけて金を奪い返したり、などといったことを行っている。
その手口は風の如く素早く鮮やか、一切の証拠を残さず、まさに風のように消える。
故に人々をして怪盗『疾風』と呼ばしめる。

しかし、彼が疾風と呼ばれるわけはそれだけではない。
―右手に穿たれし風穴
彼が、危険を冒しながらも盗みを続けるのは、世紀の大悪党奈落を探し出し、成敗するためである。
何を隠そう奈落こそが彼の右手に風穴という呪いを植え付けた張本人なのである。

「…城内にやばいもんでも隠してんのか、その殿様」
「おい弥勒。言っておくが、今回の仕事は盗みじゃないぞ」
「盗みじゃない?」
「最初に教育係といったじゃろう?」
「…断る」
「何故」
「それは俺の仕事じゃねー!」
ふいっと、夢心から視線を外し再び小判に目を向ける。
「子守なんてまっぴらごめんだ」
「子守ではない。殿の娘御の教育係じゃ」
「…」
「妙齢の美しい姫君らしい」
「…」
「悪くないじゃろう?」
「…おい生草。教育係といったな」
「おう、やってくれるか」
「何、教育してもいいんだな?」
「…」
そう言った弥勒は悪い笑みを浮かべていた。

何を隠そうこのダークヒーロー、無類の女好きであったのである。


「きゃー!スリよー!そいつを捕まえて!!」
往来も激しい昼下がり。
甲高い娘の叫び声が響き、人々が何だ何だと騒ぎ出す。
スリと呼ばれた男は人混みに紛れ、すでに行方が分からなくなっていた。
と、思ったとき
「観念しな!!」
という若い娘の清廉な声が響いた。
その娘は紅白の小袖を着て、晴れているのに目深に笠をかぶっていた。
「いててて!離してくれ!」
娘に取り押さえられ、情けない声を発しているのは、間違いなくスリを働いた男。
「よかった〜!」
と言いながら、被害にあった娘が駆け寄ってくる。
「さ、あたしの財布返してよ!」
迫る娘に男は渋々その胸元を探る。
ところが…
「あ、あれ?」
確かにここに忍ばせたはず。しかし、いくらまさぐれど娘の財布は見つからない。
うそ!?落としたの!?と騒ぎ始めた娘に穏やかな声がかかった。
「娘さん、探し物はこちらですか?」
「あ…」
「そちらで拾いました」
にっこり、と微笑んだその男に娘は見とれてしまっている。
その男は法衣に身を包み、何ともいえない艶やかしい表情でそれは美しい顔立ちだった。
「では」
「あ、あの…お礼を…」
思わず引き留めてしまった娘の手を握ったその男は魅惑的な笑みを浮かべこう告げた。
「それでは、私の子を産んでくださいますか?」
思わず頷いた娘の肩を抱き、二人はそのまま人ごみに消えて行った。
残されたスリはそそくさと逃げ、呆れた野次馬が散っていく。
呆然とやり取りを眺めていた先の娘もまた笠をかぶり直し、人の波に紛れて行った。


「珊瑚、いつまでも閉じこもってないで少しは顔を出しなさい。」
「…」
「珊瑚…」
そういって情けない声を出しているのが、この城の主であった。
この男、元は小さな村の侍であったが、とにかく腕が立つ。
特に妖怪に対してはあらゆる技・知識を持ち合わせていた。
時は戦国、当たり前に人が死に、また当たり前に人ならず者が跋扈していた。
妖の多くは、ただでさえ苦しい人々の生活をさらに苦しめていた。
妖を成敗できるものは少なかったし、男は見る間に出世し、
ついに先日、何石もの土地と城を与えられ、こうして一国の主となったのだ。

男には娘と息子がいたが、妻は早くに亡くしていた。
妻亡き後も男手ひとつでこうして立派に子供二人を育ててこられたのは、ひとえに周りの者の協力があったからである。
そこからも男の人望の厚さがうかがえる。
侍の子供であった二人は幼き頃から剣術を学び、父親を継ぐ才覚を表していた。
特に娘のほうは女の身でありながら、そこらの野武士に負けない強さを誇り、父親と同じく特に妖怪に対しての戦力に長けていた。
娘は名を珊瑚といったが、父親が殿様に成り上がってからどうも様子がおかしい。

(誰がこんな暮らし…)
珊瑚は自室の前から父親である城主が立ち去った気配を感じとって外の景色に目をやった。
そこには見事な庭がしつらえてある。
しかし、珊瑚の脳裏に浮かぶのは以前住んでいた家の小さな庭であり、そこで稽古をしていた思い出であった。
父が一国の主となったのは確かに喜ばしいことだが、そこには問題があった。
それは、殿の娘である自分が、姫としてたいそう優遇されることであった。
珊瑚は強い自分に誇りを持っていたし、体を動かし技を磨くことに喜びを感じていた。
だがしかし、姫の身ではそのようなことは許されず、こうして毎日ただしとやかに過ごさねばならないのだ。
「姉上」
「琥珀!」
侍女もつけず一人で退屈な日々を送る珊瑚だが、こうして時々訪れる弟のことは溺愛していた。
すぐさま顔をほころばせ自室に招き入れる。
「姉上、父上も心配しているよ。稽古ができないからって、何も引きこもらなくても…」
「またその話…?ここを出たって華や茶をやらされるだけだろう?そんな女々しいことに興味はない」
「姉上…」
つんとそっぽを向く姉に弟の琥珀は苦笑するしかなかった。
「…琥珀はいいよね。師がついて剣の稽古をしているんだろう?男ってだけで…不公平だ」
寂しげな姉の姿を見て琥珀の表情もやや陰りを帯びる。
以前は明るくてよく笑う姉だったのに、新しい暮らしが始まってからほとんど笑顔を見せなくなった。
何度か父に姉にも自分と同じように剣術をやらせてやってくれと頼んだが、父は困ったように笑うだけだった。
父も本当はそうさせてやりたいのだろうけど、周りの意向には逆らえないのだろうと思った。
琥珀は小さくため息をつき新しい話題を探した。
「そういえば姉上。今日から姉上にも師がつくらしいよ。」
「師?いったい何の?」
「さぁ?」
「どうせ華か何かだろう。追い返しといて…」
「そういわれても…」
「琥珀様!」
琥珀が困ったような笑みを見せたところでふすまの向こうから声がかかった。
「稽古のお時間です。迎えに上がりました」
「今いく!」
琥珀はそっと立ち上がる。
「…なかなか慣れないね。さま、なんて」
一国の主の長男である琥珀は当然世継ぎとして大切に扱われる。
「じゃあ、姉上俺行くから。」
羨望のまなざしで見つめる姉の視線を何とか断ち切り、琥珀は廊下の向こうへ消えていった。
再び珊瑚に退屈な時間がやってきた。

と、思ったが。
「ほほう…これは思った以上だ。」
「何者!」
突然聞こえた男の声に驚き珊瑚は身構えた。
「なるほど、ただの姫君ではなさそうですな。」
珊瑚が睨みつける庭側の障子の影から音もなく男が現れた。
「初めまして。貴女様の教育係を賜りました、弥勒と申します。どうぞよろしく」
と言い、にこっと微笑むその顔に珊瑚は確かに胡散臭さを感じ取った。

「というわけで、今日からこの弥勒法師殿に勉学を教えてもらうことになる。」
「…は?」
珊瑚はあっけにとられてにこにこと笑顔を浮かべる父とその横にたたずむ青年法師を見比べた。
あの後、不審者の傍らを通り過ぎ、無言で部屋を出たところ、父親の側近に声をかけられた。
招かれた部屋にしぶしぶ入ったところ何故かその不審者と父が並んで座っていたのである。
「琥珀が言ってた師、ってあんたのこと…?」
「ええ」
「こらこら、珊瑚。あんたとは失礼だ。先生とお呼びしなさい。」
「いえいえ、弥勒と呼び捨てで構いませんよ」
「とんでもない。まあこの通り男勝りな娘故、姫と呼ばれるのにふさわしいよういろいろ教育してやってください」
「謹んで…」
「うわあ!待った待った待った!」
ぽんぽん進んでいく父親と不審者の会話に慌てて珊瑚がタンマをかける。
「父上!何を勝手に決めているんだ!こんな男信用ならないし、そもそも教育なんていらない!」
「珊瑚。弥勒殿は武術にも精通しているらしい。剣術なども教えてくださるそうだ。」
「え…?」
その言葉に珊瑚の心は揺らいだ。
弥勒と呼ばれた男はその心の隙にするりと入り込む。
「姫は、妖怪退治がお得意のようですね?その話お聞かせ願えますか?」
柔和な声に珊瑚の頬が少し染まった。
自分の誇るものを封じ込まれていた日々に、そんな言葉をかけられるとまんざらでもない気持ちになってしまう。
抵抗をやめた珊瑚に、話は決まったとばかりに、父親は弥勒の肩をポンとたたき出て行ってしまった。
「父上、まだ受けるとは…」
珊瑚は父親の後を視線で追ったが、父の足音はその声にこたえることなく小さくなっていった。
これを機に、華や舞踊などの師もつけ、学ばせようという父の思惑は全くこの時知る由もなかった。
そしてその師たちが珊瑚の花婿候補であることは城主と側近たちしか知らなかったのである。







あとがき
シリーズにしたいけど、何年かかることやら!
家庭教師と生徒の恋物語です?
期待せず続きをお待ちください。お粗末さまでした。

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