こんなに僕を切なくさせてるのにいったい何がそんなに悲しいの?
こんなに僕を切なく追い込むのは君一人しかいないのに




こんなに僕を切なくさせてるのに


「だから違うと言っているでしょう」
弥勒は困ったようにため息をつく。
「違わない。ていうか、もう聞きたくない!!」
珊瑚はそんな弥勒の態度に余計に腹が立ち、その場を立ち去ろうとする。
誤解されたままの弥勒は慌てて、珊瑚の腕をつかんだ。
「離して!」
「嫌です。」
「汚らわしい手で触らないで!!」
その右手には恐ろしい呪いがある。
が、珊瑚はもちろんそのことを言っているのではない。
「汚らわしいって…傷つきますなぁ。」
「ふざけるな!その手で女を抱こうとしただろ!」
いくら怒っているとはいえ普段からは考えられない言葉である。
「とにかく落ち着きなさい。皆を起こしてしまう。」
弥勒は、珊瑚の言葉に驚いてはいたが、その心中とは裏腹に声をひそめて隣室に気を配る。


途中立ち寄った村で、宿を頼んだ家は旅の一行に二部屋用意してくれた。
この待遇ももちろんこの家で華麗に妖怪退治をやってのけたからであり、その後催された宴の席で弥勒の悪い癖が出たのもいつものこと。
いつもと違うのは、ちょっとした事故が起こり、珊瑚の怒りレベルが平手打ちのみならず飛来骨での制裁をも超えてしまったことである。
その事故が起きたのは、着替えをしていた珊瑚が、少し遅れて宴の会場に足を踏み入れようとしたときだった。
何とも間が悪く珊瑚はそれを目撃してしまったのである。
珊瑚は何も言わずに踵を返した。
珊瑚が一向に弥勒の前に姿を現さないのを心配したかごめがこうして無理やり二人を一部屋に押し込んだはいいが、結果がこれである。
「静かにしてほしかったらこの手を離せ!」
弥勒はしばらく逡巡し、己の方に思いっきり背を向けてしまっている娘を見やりながらそっと手を離した。
「もうあんたの顔なんか見たくない!」
とたん、珊瑚はそう吐き捨てて走り去って行った。障子は気持ちいいほど大きな音を立てて閉まる。
「珊瑚…」

弥勒がため息をつき珊瑚の消えていった障子を見つめていると不図その障子が開いた。
―戻ってきたのか?
が、見つめる先から現れたのは期待していた人物ではなかった。
「かごめ様…すいません、起こしてしまいましたか。」
「ううん。大丈夫。それより珊瑚ちゃん…」
珊瑚の走って行った方角を心配げに見つめるかごめが弥勒に向けた横顔が追わないの?と告げている。
「思いっきり拒絶されてしまいましたからな…もう顔も見たくないと。」
心底困惑している風の弥勒をしげしげと見つめていたかごめだったが、突如破顔した。
「何言ってるの。珊瑚ちゃんは今、誰よりも弥勒さまの顔が見たいはずよ。」
その笑顔は自分はその気持ちをよく知っているとでも言いたげである。
「ね?」
―そうか。
  『顔も見たくない!』そう言ってかごめが井戸に飛び込むたび、自分は犬夜叉に『早く追え』と言っていたではないか。
  『かごめ様は迎えに来てほしいのだ』と言っていたのはどの口だ。
「…そうですね。では失敬して。」
弥勒はそう言ってかごめの前を足早に通りすぎた。
「弥勒さま、がんばってね」
かごめは小声で応援し弥勒の背中を見送った。


珊瑚は庭の隅でうずくまっていた。
「…泣いているのか?」
珊瑚は驚いて声の方を振り返った。泣いているところなど見られたくなかった。
「…話だけでも聞いてくれんか。」
弥勒がなんとか自分の機嫌を取ろうとしているのが分かる。泣いている自分を見て先ほどよりうろたえているのが痛いほど分かる。余計に胸が痛む。
だから嫌だったのだ。彼の前で泣いたら彼が困る。そのうち面倒くさく感じるかもしれない。それが怖くて、ここでひっそり泣いていたのに。
弥勒はゆっくり近づいてきて珊瑚の目の前にしゃがみこんだかと思うと力強く抱きしめた。
一瞬驚いて固まる珊瑚だったが、弥勒の腕をつかみ己からはがそうとする。
「離して!」
―ああ。どうして…
「触らないで!」
―どうしてこうも可愛くないことを言ってしまうんだろう
「離しません。」
弥勒は片手で、己の胸に押しつけるように珊瑚の頭を抱え込んだ。
珊瑚は息が苦しくなりいっそう暴れる。
「お前が大きな声を出すからかごめ様を起こしてしまった。」
かごめの名を出され我に返った珊瑚はようやく静かになった。
その様子を見て、弥勒は珊瑚の頭を解放してやる。ただし、珊瑚を腕に囲いこんだまま。

「確かに私は宴に乗じて村のおなごたちと戯れていた。だが、本当にそれだけだ。」
「…女の帯を解いた。」
珊瑚は俯きながらぼそっと言った。
「たまたま手が帯にひっかかったんだ。」
「着物を脱がせた。」
「帯がほどけて前が肌蹴ただけだろう?着つけが悪かったんだ。」
「そんなうまく脱げるわけないだろ。」
「偶然が重なったのです。」
「…」
「信じてはくれんのか」
「…離して」
今まで出会った女ならここで平謝りでもして、愛想をつかされるのを待っただろう。傷つけないように深くかかわらないで済むように。だが、珊瑚は今まで出会った女とは違う。
ただ一人本気で自分の子を産んでほしいと思った女。
当然傷つけたくはないが、やってもいないことを謝りたくはなかった。
「いったいどうすればいい?」
弥勒は独り言のように呟いた。
そこでようやく顔を上げた珊瑚だったが、その表情はまるでこの世の終わりを迎えたようなものだった。
やっとおさまった涙を今度は雪崩のように零し始める。

「さ、珊瑚!?」
声も出さずに泣き続ける珊瑚を困ったように見ていた弥勒だったが、やがて優しく抱きしめた。
「珊瑚」
弥勒はそっと背中をさすり、締め付けられる胸の苦しさに耐え珊瑚に尋ねる。
「私の心はお前にしか向いていないのに…いったい何が哀しいんだ?」
弥勒の真摯な声音に珊瑚はようやくまともにとりあった。
「…あたしにも分かんないよ…」
ただ、意地を張っていただけ。
弥勒の優しい愛撫のおかげで落ち着いてきた珊瑚は弥勒の胸から少しだけ離れ顔を上げた。
「別に…最初から、疑ってたわけじゃないの。」
単に戯れが過ぎただけなのだろう―頭では分かっていたけど。
心と頭は別物だ。 一度感じた胸の痛みは、際限なく珊瑚の心を黒く塗りつぶしていった。
「珊瑚?」
「ただ、法師さまが困った顔するのが哀しくて…嫌われるのが怖かっただけ。」
素直に許してはあげられない。かといって拗ねた態度を取りつづけたら弥勒の気持ちが冷めてしまうかもしれない
―だから、逃げた。そんな自分が嫌で泣いていた。
「嫌うわけないでしょう。」
「…ごめんね。法師さま」
「やっと私を呼んでくれましたね。」
「え?」
「お前の声で『法師さま』と聞きたかった。」
「…ありがとう。追いかけてきてくれて」
「あたりまえでしょう?」
かごめに背中を押されたことは黙っておくことにしよう。
「…法師さま、戻ろう?」
「ああ」

二人は立ち上がり、元来た道をたどる。
「そう言えば何故一度泣きやんだのに再び涙を流したんですか?夥しい量でしたが。」
「…だって、思いっきり『めんどくさいな』って声だったし」
本気で嫌われたと思った。
「何を言うんです。私は、哀しむお前を見ているのは辛いから、一刻も早く元気で愛らしい珊瑚に戻ってもらおうと必死だったんですから。」
面倒くさいなどと思うはずはない。お前が哀しいと私も哀しい。
「こんなに切なく胸を焦がすのはお前だけだ。…お前は私の腕の中にいればいい。」
―もう逃げないでほしい。
「…ん。」
珊瑚はほんのりと頬を染めたが、それより弥勒の正直な気持ちが嬉しかった。
恐る恐る差し出した左手が優しく、そして力強く握り返される。
彼女はつないだ彼の右手を愛しそうに見つめてつぶやいた。
「汚らわしいなんて言ってごめん…本当はこの右手大好きなのに…」
言われた弥勒でさえ忘れていたのに、この娘は己の失言を気にしていたようだ。
珊瑚は自分の発言に恥ずかしくなり、すぐ反対を向いてしまったが
愛しさに弥勒が握る手を強めたためにどうしても彼の右手を意識してしまうのだった。


その家は寝静まっている。
ということは当然あてがわれたこの一室で二人、一晩過ごさねばならない。
「…やっぱりあたしかごめちゃんのところに…」
「二度もかごめ様を起こしては悪いだろう」
「う…」
「ということで、偶然ではなく必然的にお前の帯を解いてあげましょう」
「ば、バカ!!」
珊瑚は赤くなるも、ふと真剣な顔になり法師に訪ねた。
「…ねぇどんな戯れをしてたら帯に手が引っ掛かるわけ?」
そもそも女と戯れていたことが問題なのだがこの際それは置いておく。
珊瑚が目撃したのは女の背後から着物を脱がす弥勒―というのは誤解なのだが、
手相見をしていて背中の結び目に手がかかることはないだろう。
「それは他のおなごと話している間に背中を向けた娘の尻をつるりと…あ」
「…そぉ…」
「…珊瑚?」
「あたしは武器の手入れがあるから法師さまもう寝なよ。」
そういってどこで用意したのか、研ぎ石を取り出し、刀を丁寧に研ぎはじめた珊瑚の横顔に
『本当に珊瑚の嫉妬は可愛い、珊瑚にならいくらでも困らされたいな』などと不謹慎なことを思う弥勒であった。





あとがき
20年くらい前の木村さんのソロ。
私のイメージでは、強気な彼女といつも衝突しているけれども、そんな彼女が大好き彼氏の歌です
『何で泣くんだわかんねーよ!こんなにお前のこと好きなのに!』みたいな?
弥勒さまに限っては『珊瑚のことはすべて分かってます』とか平気で言いそうなのでちょっと違う気もしますが
恋する乙女の気持ちは私にもよく分かりませんすいません

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