微笑んでください


今宵宿と決めたのはいつもの如く大きなお屋敷であった。
お祓いを終えた弥勒が与えられた自室へ戻ろうと廊下を進んでいると、ある一室から小さな声が聞こえた。
珊瑚の声だ。
それはとても優しく穏やかで、今まで強く、凛とした彼女の声しか耳にしてこなかった弥勒は目を見開き、とっさに気配を消した。
己の気配に感づかれ、その声が遮断されるのは惜しいと思ったからだ。
お昼時を過ぎ、家人たちは働いているのか遊んでいるのか、とにかく屋敷は静まり返っている。
そんな、時が止まったような空間に漏れいづる声は、どこか弥勒を夢見心地にさせた。

どうやら子守歌を歌っているらしい。
恐らく傍らには、七宝か雲母がいるのだろう。
甘く響くその声についつい引き寄せられる。
音を立てずほんの少し障子を開くと、珊瑚が座っており、案の定その膝では七宝と雲母が眠っていた。
歌に合わせ二人の背を叩く珊瑚の表情は声と同様穏やかで、その美しさに弥勒は息を呑んだ。
「!」
さすがにその気配に気づいた珊瑚が顔を上げた。
その表情はすでにいつもの仏頂面となっており、法師は思わず嘆息した。
思いっきり残念だという心情を表に出してしまい、慌てて彼は顔を引き締める。
「…何覗いてんの」
膝で眠る二人に気を遣って、怒鳴りはしなかったものの、十分不機嫌さの伝わる低い声で珊瑚が呟いた。
はは、と誤魔化すように頭をかきながら弥勒は部屋に入った。
「あまり美しい歌声だったものでつい聞きほれてしまいました」
「…ふん」
興味もなさそうに珊瑚は再び顔を膝元に向けた。
そして、その表情が少しだけ穏やかになったのを弥勒は見逃さなかった。
「…私にも…」

優しい表情を見せてほしい

そう言いかけた己の思考にはっとなった弥勒は口を噤む。
「?」
珊瑚は突然押し黙った弥勒に胡乱な視線を向けた。

―単に珊瑚の笑った顔が見たいのではない。
確かに、いつも辛そうな珊瑚に笑ってほしいとは思っているし、
笑ったほうが美しいだろうという下心がないわけではない。
しかし今願ったのは、そんな単純な思いではない。
己に、己だけに笑いかけてほしい。
他の男に笑いかけるな、という独占欲が多分に含まれた願いだ。
(…私は珊瑚を独占したいのか…?)
弥勒は己の考えに愕然としていた。

「…法師様?」
珊瑚の声に我に返った弥勒は作ったような微笑を浮かべた。
「…いえ。珊瑚は子供が好きですか?」
小さな妖怪に目を向けて弥勒が問うた。
突然変わった話題に、特に気にすることもなく珊瑚は淡々と応じる。
「…まあ、好きというか。昔から小さい子の世話はよくしていたし」
「そうですか」
「…」
「…」
何故だろうか、饒舌なはずの法師がふっと押し黙ってしまう。
その沈黙を珊瑚は、居心地が悪いというより、鬱陶しく感じてきたようだ。
「…ねぇいつまでいるの?」
「え?」
用がないなら出てってよ、という心の声がまる聞こえである。
弥勒は苦笑しながら、答える。
「別にいいでしょう。邪魔ですか?」
「邪魔というか…」

仲間になって日が浅い。
突然湧いてきた新しい仲間とどのように接したらいいのか分からない。
というより、あまり接していきたいという気持ちが起こらない。

「せっかくですから、じっくり話でもしませんか。仲間としてやっていくんだし」
「話すことなんてないよ」
「つれないですなあ。」
「つれなくて結構。」
俺には笑いかけてはくれないのか…
と切ない気持ちになり、またもやそのような自身の思考に驚く。
何だろうこの気持ちは。
自分に靡かない女を落としたいと燃える男の性だろうか。
いや―そうではない。
俺は、珊瑚に…
そこまで考えて、自分の思考にストップをかける。
これ以上考えると信じがたい結論に至ってしまいそうだ。

「私にも、子守歌、歌ってもらえますか?」
「…は?」
「お祓いで疲れてるんです。少し眠りたい。膝を貸してくれとは言いませんから」
「やだよ」
「なんでですか。恥ずかしいですか?」
「あ、当たり前だろ」
眉を吊り上げた珊瑚の頬に少し赤みが上る。
おや、と弥勒は思う。
怒りのほかの感情を露わにした珊瑚を初めて見たのだ。
美しい、と思った。
そしてもっといろいろな表情を引き出したい、とも。
「いいじゃないですか」
ごろんと弥勒は横たわる。
「ちょっと…」
少し困ったような表情をしている。
(なんだ、可愛い顔もできるじゃないか…)
里を失い、仲間を失い、家族を失い、表情も失った彼女に笑顔を取り戻してやりたい、心の底からそう思った。

「…珊瑚」
「…何」
「我々はすでに仲間ですから」
「は?」
「もっと気を許してくれてもいいんですよ」
「…」
手甲をはめた腕を枕にし、目を瞑った男の声はだんだん小さくなっていく。
本当に疲れていたようだ。
「だから、私にも、笑顔を見せてください。」
「…え」
「七宝や雲母に見せた笑顔を私にも。」
珊瑚はそっと膝元に目線をよこした。
この無害で愛らしい妖たちと同じようにこの胡散臭い男を愛でろというのか。

「…それは無理」
「何故」
「だって法師様は可愛くないもの」
「あのねぇ…」
真剣に放たれた珊瑚のセリフに、自分の腕から頭を落としそうになる。
―そのあまりに情けない様子に娘がくすっと笑った。
それはほんの少し表情を緩めただけだったが。
己に向けて初めて向けられた笑顔。
その意不意打ちに思わず弥勒は固まってしっまった。
「…何?」
次の瞬間にはまた無表情に戻っていたけれど。
「…いえ」
にこやかに笑う法師を見て珊瑚は首を傾げた。
「…法師様ってよくわかんない」
「これから、知っていってください」
「…ま、できる限りね」
ようやく前向きな返事(妥協と言えなくもないが)を聞けて弥勒は笑みを深くした。
そして再び目を閉じる。


この娘はきっと本来もっと優しくて穏やかで美しい表情をする娘だっただずだ。
奈落の罠により一晩で失われたものたちとともに、失くしてしまわなければ、それはきっと今も健在だったはずで。
だが、再び仲間を得て、徐々に感情や表情を取り戻していってくれるであろうと信じている。
彼女はそれができる、強い娘だと思う。
そしてそれに一番影響する男でありたい。
弥勒はそう、切に願った。
願って、なぜそう願うのか、深くは考えないでおこうと思った。
奈落を倒し、彼女の表情を取り戻して初めて、己の感情について考えたい。
それまでは、彼女の笑顔を求めて、ただひたすらに生きるしかない。

「…珊瑚」
もう何さ、と珊瑚は呆れたような声を上げる。
目を閉じてしまっているのでその顔は見えないけれど、きっとその声と同じく、呆れたような表情をしているに違いない。
その表情を想像して、喜びを覚えながら弥勒は懇願する。
「私が寝言を言ったら、笑ってくれますか?」
一瞬怪訝な顔を浮かべた珊瑚は口を閉ざしてしまった。
回答を促そうと弥勒が重い目蓋を開けるとじっとこなたを見据える彼女と目があった。
とても眠そうな弥勒の表情に、再び珊瑚がくすりと笑った。
「…内容にもよる、かな」
その笑顔を確認して、満足そうに微笑んだ弥勒は目を閉じた。
(…何だ)
こんなにも簡単に引き出せるのか、と思う。
でも、十分咲きの笑みまではまだ時間がかかりそうだ。
それでも―
「…いい夢が見られそうです。」
「…おやすみ」
そう囁いた珊瑚の表情は己の膝元で眠る小さなものたちに向けるものと同じとても穏やかなものだった。

うつらうつら意識が遠のいてきた弥勒の耳に響いた、甘く優しい歌声は、夢かうつつか―。




あとがき
ミロサンデーやったー!
超雰囲気話。
超初期です。たぶん偽水神退治よりも前。
まだ誰にも慣れない傷ついた珊瑚ちゃんが新しい仲間に気を許してもいいかな?と思い始めた感じを書いてみました。
一方うちの法師様はもうすでに珊瑚ちゃんにひかれ始めている模様←
本格的なセクハラを受ける前で、法師を法師と信じている頃ということで。


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