ただの友達だと意地を張ってたんだ今までは
一晩中君を見ててやっと正直に
僕にも君にも向かいあえたよ好きなんだ
今日もずっと側にいてほしい




My Childhood Friend



大きな音が聞こえ、弥勒は目を覚ました。
はっきりしない頭で、それでも意識を集め徐に起き上がると、障子の方を振り返った。
ガタッガタガタッ
なおも大きな音が続く戸をぼんやりと眺める。
やがて開いたそこから顔を覗かせたのは、仲間の娘―珊瑚だった。
「…おや。こんな夜半にどうしました?」
その姿を認め完全に覚醒した弥勒は、珊瑚の行動を不審に思いながらも優しく尋ねた。
しかし彼女は声を発さず俯いている。
「…珊瑚?」
ちょうど影にいる彼女の表情は判別できない。
その様子を伺おうと立ち上がりかけたが、それより先に彼女の方が動いた。
ふらっふらっ
覚束ない足元のまま弥勒の元までたどり着いた彼女はどさっとその目の前に座り込んだ。
そしてようやく弥勒は彼女が手にしていたものを目の当たりにしたのである。
「おまえ…それは…」
「ほおしさま…いっしょにのもお」
へらり
弥勒の顔を見て安心したのか、蕩けるような笑みを見せた珊瑚はようやく声を発した。
その天使のような笑顔を無防備に見せつけられた弥勒は一瞬固まってしまった。
とにかく理性をかき集めかき集め、ようやく発した声は固い。
「お前…何故酒を飲んでいる…?」
すると珊瑚は本当に不思議そうな表情でゆっくりと首を傾けた。
「なんでって…そこに置いてあったから。おいしそうだったし。」
「…普段は酒が置いてあろうが何だろうが飲まんだろう」
「…だめなの?」
きゅっと眉を寄せ悲しそうな表情をさらされると途端に法師の胸がざわつく。
「ダメでは、ないが」
「ほうしさまはいつも飲んでるくせにぃ」
ぎろりと睨む目は今にも涙をこぼしそうに潤んでいる。
「うわあ!分かったから泣くな!よしよしいい子だから…!」
慌てて頭を撫でてやると瞬時に珊瑚の機嫌は直った。
僅かに頬を染めにこりとほほ笑むと手にしていた猪口に酒を注いだ。
諦めたように息を吐くと、彼女が手渡してくるそれを静かに受け取った。



それはまだ太陽が十分に高い位置にある刻限のこと。
一行は、いつものようにふらりと立ち寄った村の一番大きな家でお祓いを行っていた。
無事今宵の食事と宿も手に入れたところで、日暮れまでには時間があるので近隣に四魂のかけら探索に向かうことにした。
珊瑚は雲母に乗り、七宝を伴って少しばかり離れた場所まで来ていた。
犬夜叉とかごめはともに行動しているだろう。
そしてもう一人の仲間は…
「…どうせ今頃あの娘とよろしくやってるんだろーけど」
当初は法師も珊瑚たちと行動を共にする予定だったが、発とうとしたとき、その娘が声をかけてきたのだ。
そう、法師にだけ「お酒でも飲まれませんか?」と。
「これも御仏が与えてくださった恩恵なのでしょう。お言葉に甘えて…」
へらりと笑った法師に当然の如く珊瑚は食いかかったが、隣に立つ彼の娘に嘲笑され、恥ずかしくなり押し黙った。
その間、あっという間に娘は法師を連れ去ったのだ。
気遣わしげに足元から見上げてくる小さな妖怪たちに導かれるようにこうして村から離れた山中まで来たというわけだ。
しばらく奈落の気配や、四魂の玉の噂はないかと歩いていたが、所詮かごめのように四魂の気配を感じられるわけでもなくば、奈落の手がかりすら見つからない。
仕方なく僅かの後に村に戻ってきた。
とはいえ、宿に戻っても法師と娘が共にいる場面に遭遇するだけである。
何だかやりきれなくなって、七宝の相手を雲母に託すと、鍛練でもできる場所はないかと一人で歩き出した。

少し歩くと、薊の群生地が広がっていた。
どこまでも続く紫の花畑。
どこか彼の男を思わせるその花ばなを見つめていると大きな風が吹いた。
「あ…」
風の勢いで頭を結いあげていた紐が解け、飛んで行ってしまった。
それを探そうと足を進めると、愉しげな人の声が聞こえてくる。
少し先には東屋が見える。どうやら声はそこから聞こえているようだ。
背の高い花々をかき分けそっと近づいていくと、正体が明らかになった。

「…!」

何と、仲間の法師が先ほどの屋敷の娘の体に乗り上げ、固く抱き合っているではないか。
かろうじて衣服は纏っているものも、その胸元は互いに大きく肌蹴ている。
珊瑚の心臓はドクドク鼓動を速め、頭が真っ白になり呼吸が苦しくなっていく。
その場から立ち去りたいのに足が一切動かない。
法師がその娘に口づけようとし、ふとこちらを振り向いた。
その表情は今まで見たことのない艶やかしいもので、珊瑚と認識すると妖しく微笑んだ。
「…」
「…法師様、どうなさいました?」』
腕の娘がもどかしそうに、法師の顔を自分に向けながら尋ねる。
「…いえ、見られているような気がしたものですから。」
「だとしたら見せつけて差し上げたらいいわ。」
「風の音だったようです…」
その台詞に珊瑚は我に返った。
珊瑚はそこに居ない者として扱われたのだ。
哀しくなり、情けなくなり、衝動的に駆けだした。
「法師様…口づけをしてください…」
「…」
「法師様?もう待てません…」
「…楽しんでから、と思ったのですが…」
「え?」
「やはり本人の意思を確認しないままとはちと気が引けますな…」
「何を…言っているの?早く…口づけを…」
「…破魔札」
一つため息をついた弥勒が娘の額に念を込めた破魔札を貼り付けると途端に娘の意識は途切れ中から女の姿をした妖が飛び出してきた。
『おのれ…お前の魂食ろうてやる…!』
「成敗!」
襲いくる妖に焦りなど微塵も見せず、錫杖を軽く一振りすると妖怪はあっさりと斃れた。
妖は跡形もなく消えた。
同時に一面を覆っていた薊の花が枯れていく。
枯れた後に現れた地面にはぽつりぽつりと人の骨らしきものが転がっている。
「えさ場だったか…」
弥勒は眉をひそめて顔を俯けると手を合わせ口の中で短く経を唱えた。
「…はぁ」
また一つ小さくため息をこぼすと、気絶している娘を連れ帰り事態を報告すべく振り返った。
「…何故こうなるんでしょうか…」
そう呟いた彼の脳裏に浮かんでいるのは、好機を逃した腕の娘の顔ではなかった。


気づけば珊瑚は屋敷のあてがわれた部屋に戻っていた。
へなへなと座り込む。
思い返されるのは先ほどの法師と娘の艶やかな場面。
決して踏み入れることはできない大人な世界と、存在すらなかったことにされた、あまりにも惨めな自分。
突き付けられた落差に眩暈がする。
彼の人と、自分との間にはこんなに大きな隔たりがあったのだ。
「あ…」
ぽろり。
一粒涙がこぼれると、それをきっかけにしたかのように後から後から涙がこぼれてくる。
手の届かない人に恋をしてしまった事実と、もう諦められないであろうところにまで来ている己の感情に気が付いたのである。
(こんな、こんな思いを抱えている場合じゃないのに…)
多くの使命を抱えていながらまだ枷を背負うつもりなのか。
その後涙が枯れるまで泣きはらした。


夕餉の時刻には珊瑚は普段通りに戻っているように見えた。
だからほかの仲間は二人の間に何があったのかまったく気づかない。
「弥勒様。また女の子ひっかけてたんだって?」
かごめが冷たい視線を突き刺す。
「いいえ?娘に取り憑いていた妖怪を祓ってやっただけですよ?」
「それはついでだろーが。大方たまたま誘った相手が妖怪憑きだっただんだろう?」
「失敬な。ちゃんと分かったうえでお誘いにのって差し上げたんです。言わば囮ですよ。」
「嘘〜絶対下心あったくせにー!」
なおも信用ありません!という表情で攻撃してくるかごめは、先ほどから黙々と食事を進めている珊瑚に話を振る。
「ね、珊瑚ちゃんも信じられないよね〜?」
「本当に妖怪退治ですってば。珊瑚、見てましたよね?」
そこで明らかに動揺したように珊瑚の肩がピクリと動いた。
大きく目を開き、弥勒を見つめる。
いや、見つめられなかった。
一瞬あった瞳には何も浮かんでいない。
あの、女の躰の上から見せた妖しいほほえみを思い出す。
―なぜ、そのような挑発をしてくる?
「…知らない。見てない。」
それだけ言うのが必死だった。
弥勒は軽く微笑んだだけで、それ以上口を開かなかった。
釈然としない表情のかごめが首をかしげた。




「…おいしー?」
「ああ。うまい。どこからこのようなもの…」
機嫌よく飲む珊瑚に付き合ううちに弥勒の気分も穏やかなものになっていた。
「ここの娘さんがくれたのー」
「…娘?」
「そ。ほんとはほおしさまに、って言ってたんだけど。その時ほおしさまいなかったからあ」
「お前が預かったと…」
「うん…たすけてもらったおれーだってぇ。ほんとーにとりつかれてたんだねー」
「お前まで疑ってたんですか。」
それは酷い…と小さく呟きながらちびりと酒を飲む。
「…だって」
「ん?」
「あんなところ見たらうたがうに決まってるでしょ。」
弥勒を睨み付けた珊瑚がなみなみと酒を注ぎ、一気に己の喉に流し込もうとしている。
「!」
慌てて弥勒が猪口を取り上げ、ほっとしたような表情で珊瑚を見やった。
「…いじわる」
「意地悪ではない。そんなに飲んだら明日に響きますよ。とりあえず水を」
そう言い弥勒は珊瑚に荷物から水を取り出し飲ませる。
「…落ち着いたか?」
コクリ、と頷いた珊瑚に微笑みを返しながら自分はさらに酒を含んだ。
「…ほんとうは『今宵飲み直しませんか』って言ったの」
「は?」
水を飲み意識がはっきりしたのか、大分としっかりとした口調に戻っている。
本当に酔っていたのだろうかと疑わしくなるほどに。
「面と向かって誘うのは恥ずかしいからって。あたしに託したの。」
「…」
「あの娘、どこかで待っているかもしれない」
「…だとしても」
優しく響いた弥勒の言葉に、珊瑚がぼんやりとした表情のまま顔を上げる。
「だとしても、お前と飲む方が楽しい」
そう言って笑った顔は、よく見知った法師の優しくて―大好きな笑顔だった。
珊瑚の心臓がドキリと音を立てる。
昼間の妖しげな微笑みとはまるで別人である。
喜色を浮かべたはずの心が、瞬時に冷えていく。
―どうすれば自分もあの場所に立てるのだろうか?
「…そんなこと言って。昼間はあの娘と、その、よろしくやってたくせに」
「あれは本当に囮です。あの娘は取り憑かれていたわけですから無暗に手を出せないでしょう?相手に流されているふりをして、隙を作るのが目的だった。お前ならわかるだろう?」
「…分からない」
弥勒は小さく息をつき、話を切り上げた。
「さあ、今日はもうお開きです。本当に二日酔いにでもなったら、犬夜叉に文句を言われますよ。」
立ち上がらせようと、弥勒は彼女の細い肩に手をかけた。
珊瑚の視界に彼の袈裟が映り込む。
それは昼間見た薊畑と、その中に埋もれるように重なっていた法師と女の姿を思い起こさせた。
「あ、おい!」
気づけば珊瑚は衝動的に袈裟の結び目を引き、彼からそれをはぎ取っていた。
そしてそれを己の胸もとにきつく抱きしめる。
まるで誰にも盗られまいとするかのように。
「珊瑚…」
困ったように法師が彼女を見つめる。
やがてしゃくり始めた珊瑚を、法師は無言で腕に抱き寄せた。
その背に手を添え、とんとんと叩いてやる。
彼の鼓動も温もりもただただ珊瑚を陶酔させた。
昼間あれだけ涙を流したのに、まだこんなにも泣けるのか、と他人事のようにぼんやりと思う。
「…眠りなさい」
それが魔法の言葉だったかのように珊瑚はすっと眠りに落ちた。



空がうっすらと白み始めている。
ふっと下げた視線には己の衾にくるまり穏やかに寝息を立てる珊瑚の姿がある。
(仲間だ…決して手を出すなよ…)
呪文のように己に言い聞かせ続け、一睡もできない時間がようやく終わろうとしている。
(美しい…)
幸せそうに眠る珊瑚の表情は何物にも例えられないほど美しい。
ほっとついた何度目かのため息が存外大きな音を形成し、慌てて口を噤んだ。
心配とはよそに珊瑚はぐっすりと眠りについたままだ。
昨晩浴びるように飲んでいた酒の効果だろう。
(夕べと言えば…)
昨夜の珊瑚の行動を思い出して弥勒はふとほほ笑んだ。
そして彼女の胸元でくしゃくしゃになっている己の袈裟を見やる。
(しかし、参ったな。)
弥勒はちっとも困っていなさそうに笑顔を浮かべた。
そして再びその美しい寝顔を堪能する。
やがて部屋が明るくなってくると、彼女の頬に残る涙の跡が目に入った。
それを認めるや少し表情を改め、ぬぐってやろうとその頬に手を伸ばした途端、彼女の寝息が止んだ。
「ん…」
そろそろと目が開く。
僅かの間ここはどこだろうかと彷徨わせた瞳が弥勒の姿をとらえ、完全に見開いた。
そしてがばっと体を起こす。
「…は?なんで!?なんでいるの?!」
寝起きとは思えない珊瑚の俊敏さに感心した弥勒が答えてやる。
「ここは私に与えられた部屋です。やってきたのはお前の方だ」
咄嗟に視線を巡らせ、彼の台詞がどうやら事実であることを察すると珊瑚は顔面蒼白になった。
そういえば少し頭が痛い。これはもしかして…
「…あたし酔っぱらってた?」
肯定の意味を込めて法師が微笑む。
「あ、あのさ…昨日あたしは何かしていた?…ほとんど記憶がなくて。」
屋敷の娘から酒を預かったところまでは覚えている。
そのときとてもどす黒い感情に支配されたことまでは。
「…記憶がない?」
「う、うん…」
そこで弥勒は大きくため息を吐いた。
「覚えていないのですか?初めての二人きりの夜だったのに…」
「は?…は!?」
反射的に珊瑚は己の着物を見る。
多少寝乱れてはいるが形状には異常ない。
しかし己の膝元に落ちているこれは…袈裟?
「何で…」
「珊瑚に無理やり脱がされたんです。」
「う、嘘だ!」
「嘘じゃありません。」
平然と言ってのける弥勒を、呆然と珊瑚が見つめる。
「さて、私から大事なものを奪った代償をもらわなければ」
「は、何言って…」
珊瑚の困惑を一切無視し、弥勒は珊瑚の肩に手を乗せその瞳を見つめる。
すっと細めた瞳は昨日薊の花園で見た男の表情だった。
珊瑚はくらくらとなって、やがてそっと目を閉じた。
彼が近づいてくる気配がする。
何の抵抗もできないまま大人しくしていると、覚悟していた柔かな感触は唇ではなく額に当たった。
「え」
思わずぱちりと開いた瞳に、何よりも優しい弥勒の表情が映った。
「ごちそう様です。」
ぽかんとしている珊瑚を見つめ、結局我慢できず掠めるように唇を合わせると、すぐさま袈裟を纏いいつもの法師に戻った。
「皆が起きる前に部屋に戻った方がいいですよ」
ニコリと告げられ、我に返った珊瑚は、全身真っ赤に染め上げると何も言わずに彼の部屋を飛び出した。
ばたばたと動揺がそのまま表れた足音を聞きながら弥勒は思う。
『仲間だから』と意地を張るのは止めだ。
いつか必ず望む未来を手に入れるために最大限努力をする。
彼女の不器用な恋情にも、自分のひねくれた愛情にも目をそむけず向き合う、と強く心に誓う。
気づいてしまったから。

―好きだ、と。






あとがき
わけがわかりませんが、仲間から恋人になる瞬間(精神)のつもりです。
珊瑚ちゃんに酒の力を貸してしまったー!
でもまだ両片思い(笑)

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