トレード 前篇

時は旅路の途中。
場所は休息に立ち寄った楓の村。

「おすわり」
「ふぎゃ!」
「ふん」
かごめは犬夜叉を思いっきり冷たい目で睨みつけた。
「てめぇ、いきなり何しやがる」
「あんた、桔梗と会ってたこと隠してるでしょ?」
「な…別に隠してなんか」
「じゃ何で黙ってたわけ」
「わざわざ言うほどでもないというか…」

ぶちぶちぶち

「あーそー!そんな他愛もない話をしに!わざわざ会いに行ったの!あっそおおおお!!」
悲鳴じみた絶叫を上げて、かごめは勢いよく立ちあがった。
「な、なんでい」
「実はあたしも犬夜叉に隠していたことがあるの」
そこでタイミング良くというか悪くというか、運悪く弥勒と珊瑚が帰ってきた。
こちらもどうやら喧嘩中である。

「珊瑚、待ちなさい!」
「…」
「それだからお前はあんな男に…」
珊瑚は後ろを振り返り弥勒を睨みつけた。
「もううるさいな!大体法師さまの方が…?」
がしっ
「ん?」
弥勒の腕をつかんだかごめはとんでもない発言をするのである。

「実はあたし、弥勒さまと付き合ってるの!!!」

そこにいた誰もが絶句した。
「…はい?」
「て、てめ〜ふざけ…」
「付き合っているの!」
もちろんそんなはずはなくかごめの当てつけだと分かっている犬夜叉はすぐさま反論しようとしたが、かごめに凄まれては何も言えない。
一方、その様子を見て状況を把握した弥勒は、丁度珊瑚にお仕置きをせねばと思っていたところだったので、有り難くこの状況を利用することにした。
「という訳で犬夜叉、かごめ様も私の子を産みたいらしい。」
「は!?」
「両手に花とはこのことだ」
珊瑚の手をとろうとした弥勒だが、するりとかわされた。
しかし、続いたかごめの言葉に、弥勒はこの状況を楽しめなくなってしまった。
「珊瑚ちゃん、弥勒さまをもらう代わりにその犬あげるわ。煮るなり焼くなり好きにして頂戴。」
「…かごめ様それは…」

私の珊瑚を犬夜叉に…?

「…っ」
珊瑚は喧嘩の拠点だった楓の庵を飛び出して行ってしまった。
「珊瑚!」
「珊瑚ちゃんもいらないって」
追いかけようとした弥勒だが、かごめに腕をとられているので動くに動けなかった。
しかも今日のかごめはかなり怖い。逆らうと呪詛でもかけられそうな勢いである。
(外にはあの男が…)
仕方なく弥勒は犬夜叉に目配せをする。
「…ちっ」
こうして、犬夜叉が珊瑚の後を追っていったため、なんとなくカップルトレードが成立してしまったのである。


「おい」
「…犬夜叉」
珊瑚は近くの河原に腰かけていた。
犬夜叉は少しためらった後珊瑚の斜め後ろに座りこんだ。
「お互い捨てられちゃったね」
珊瑚は起伏のない調子で話す。
「お前あんなの本気にしてんのか?」
「そりゃあ、あの二人がその…付き合ってるとは思わないけど。」
「じゃあほっとけばいいだろ」
「うん…そばには居たくないよね」
「あ?」
例え犬夜叉への当てつけであれ、恋人と友人が仲睦まじくやっている姿。
他意がないことは分かっていても見ていて気持ちいいものではない。
二人同時にため息をついたときだった。
「珊瑚!」
「…喜八」
道の向こうから一人の村人が走ってきて珊瑚に声をかけた。

「もう、さっきは急に帰っちゃうもんだから…俺の話考えてくれてたの?」
「ごめん、今それどころじゃないの」
「それどころって…ん?その妖怪は…」
むっ―二人同時にいらっとした。
妖怪という言葉そのものではなくその男―喜八の目に明らかに軽蔑の色が浮かんだからである。
二人は何も答えなかった。
その様子を喜八は怪訝に思った。
「ふーん。まぁいい。じゃあ今考えて。もう一度言う。俺と夫婦になってほしい。」
犬夜叉は軽くこわばって喜八を睨む。
珊瑚はというと前方を直視したままそっと口を開いた。
「さっきも言っただろう。それはできないって」
「なんで」
「…だから今あたしは旅をしていて…」
「終わるまで待つって言ったじゃないか」
「そういう問題じゃなくて…」
犬夜叉をいないものとして話を進めていく喜八。
「他に好きやつがいるのか」
「…」
「…!だ、誰だ!」
珊瑚は法師の顔を思い浮かべる。
しかし、今は彼の名を口にしたくない。
珊瑚はその場を立ち去るべく立ち上がった。

「…まさか」
「…」
「その男か!」
「は?」
「その妖怪が好きなのか!!」
珊瑚は喜八の剣幕に圧されて倒れそうになる。
慌てて犬夜叉が珊瑚の肩を支える。
その様子が喜八の疑念を確信に変えた。
「珊瑚、だまされるな!それは妖怪だ!」
珊瑚の怒りは頂点に達した。
犬夜叉に対してあまりに失礼すぎる。
珊瑚は肩に留め置かれた犬夜叉の手を握り(つかみ)思いっきり言ってやった。
「そうだよ!この人はあたしの許嫁なの!」
今度は喜八が珊瑚の剣幕に圧されてたじろいだ。
犬夜叉も目をパチクリさせている。
「珊瑚…」
喜八は青ざめて、数歩後ずさると、勢いよく踵を返し走って行った。

ばっ
珊瑚は犬夜叉の手を振りおろして再び座り込んだ。
犬夜叉も先ほどと同じ位置に座る。
しばらく沈黙が続いていたが、先に口を開いたのは珊瑚だった。
「あたしのことは気にしなくていいから、犬夜叉は昼寝なり、かごめちゃんの所に戻るなり好きなようにすれば?」
「…」
そう言う珊瑚の背中は侘しい。
こんなに寂しげな珊瑚を置いていっていいものだろうか。
「あ、できれば七宝と雲母のところに案内してくれると嬉しいんだけど。臭いで分かるだろ?」
「ああ」
二人が一緒なら心配ないか。
ふんふん
犬夜叉は立ち上がり鼻をひくつかせた。
「こっちだ」
犬夜叉が歩き出したので珊瑚も立ち上がりあとに従う。

やがて辿り着いたのは元来た場所―楓の庵であった。
「…ねぇ」
「何だ」
「ここ」
「おう」
「おう、じゃなくて!戻ってるじゃないか!」
「臭いを辿ったらここに着いたんだ」
「七宝たちは村の子どもと遊んでるんじゃないの!?」
「俺が知るか」
「ははーん、あんた一人でかごめちゃんに会うのが嫌であたしを道連れにしようと…」
「ばっ、誰が!」
「最初からそう言えばいいのに」
「別にあんな奴にわざわざ会いに来るかよ!」
「あんたに頼ったあたしが馬鹿だった。こっから先は一人で行ってよね。」
「あのなぁ、ここから七宝の臭いがするっつってんだ」
「あたしはここに居たくないから飛び出してきたの!なのに連れて来るなんてどういうつもりなのさ!?」
「何だとてめぇ!?」
「やる気っっ」
「おう、そっちがそう来るなら勝負だ!」
「負けないよ」
「おうおう、そういや、お前とは勝負がついてなかったな」
「そうだったね」
「鉄砕牙!」
「ちょっと待って。あたし、今何にも武器持ってないの。」
「分かった、なら鉄砕牙は使わねぇ」
「じゃあ素手で勝負だ!」
「望むところだ!」
「えーーーい!!」
「うおーーー!!」
二人は同時に駆け出し、取っ組み合いのけんかが始まる―直前

「おすわり!!」

「ふぎゃー」
犬夜叉が地に沈んだ。
「お主ら、相手を交換したというのは真だったようじゃのう。」
庵から出てきたのは言霊をはなった声の主ではなく、家の主だった。
「は?」
「喧嘩するほど仲がよいというからな。」
「た、大変じゃぁ」
楓の陰からおろおろと七宝と雲母が出てくる。
「村のものが噂しておったんじゃ。犬夜叉たちの間で仲間割れが生じて、許嫁が入れ替わったらしいと…」
「喜八…」
あの男が言いふらしたに違いない。珊瑚と妖怪が付き合っていると。
そして、珊瑚の本当の許嫁が法師だと知っている人の耳に入り、楓の庵で弥勒とかごめがお互いの思い人なしに二人で過ごしている様子も手伝って、許嫁が入れ替わったという話が村中に広まってしまったのだろう。
「どうしよう…」
「どうもこうもねぇよ。」
犬夜叉が立ちあがりながら言う。
「でも」
「どうでもいいだろ、そんなこと。放っておけ。」
「そうよね。あんたにはどうでもいいことよね。」
いつの間にやら、かごめと弥勒も庵の外に出ていた。
「珊瑚…」
弥勒は信じられないものでも見たような顔をしている。
呆れているのだろうか。
珊瑚は胸が痛んだ。
男のように取っ組み合いの喧嘩をしようとしていた自分。
飛来骨や刀での勝負ならともかく、肉弾戦を挑んだのである。
退治でも訓練でも何でもない。
一方、弥勒の腕に絡まり、もたれかかるかごめはしなやかで実に女性らしい。
(かごめが弥勒の足を思いっきり踏みつけているのは珊瑚の目には入らない。)
恥ずかしい…
珊瑚は再び駆け出した。
「珊瑚!…追わんのか!?」
七宝はきっと弥勒を睨みつける。
「我々だけの問題ではありませんので…」
弥勒はじんじんと痛む足元を見降ろし、ため息をついた。
追いかけていったのは彼女の愛猫だけだった。




(中篇)




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