「必ず…必ず連れ出してくださいまし…」
「あぁ、約束だ。その証にこの真紅の着物を纏って待っていてくれるか」
男は女にその(あで)やかな衣を手渡す。
女はそれをぎゅっと握りしめると小さく呟いた。
「必ずですよ…」
やがて二つの影は一つに重なる。
そして離れた影は二度と再び重なることはなかった―


色めく街で燃ゆる(あか) -壱-


それはそれは立派な花街であった。
到着したのは昼間であり、まだそうとも分からないようにも見えたが、
やけに静かな街で見かけるのは蝶に化ける前の女のみであった。


異変を感じ取ったのは退治屋の娘。
「ねぇ、法師さま。」
「なんですか?」
弥勒は少し後ろを歩く珊瑚を鷹揚に振り返った。
「まさかとは思うけどここいらに泊まろうとか考えてない?」
「はぁ…まぁ。」
弥勒の曖昧な返事に被せて犬夜叉が問う。
「ここに泊まったら何か問題あんのか、珊瑚」
その隣でかごめも七宝も不思議そうにしている。
「だってここ…」
珊瑚はそこで口ごもってしまう。
さすがに口にするには憚られる。
助けを求め(元凶もこいつなのだが)法師の方を伺うも、これ幸いとこちらを見向きもせず歩き続けている。
珊瑚は眉を上げ食ってかかる。
「もう法師さま!あんたはともかくあたしたちがこんなとこ泊まれるわけないだろ!!」
歩調を速めて怒鳴りつけた珊瑚だが、突如弥勒が止まったためその背中にぶつかりかける。
「な、なに…?」
弥勒の前に一人の老人がひれ伏していた。
「あぁお坊様!遊女たちをお救いください!!!」


一行は街一番に大きな屋敷(人気の遊廓とも言う)に案内された。
老人はここを取り仕切る元締め的な人物であった。
話を聞くうちに珊瑚と法師以外の仲間もここがどういう街か分かったらしい。
とても居づらそうに老主人の話に耳を傾ける。
「はぁ…では最近毎晩のようにゆ…ここのおなごが殺されていると」
「血まみれの死体って、斬りつけられてるってこと?」
とはいえ、事は思った以上に深刻だ。

近頃ほぼ毎日遊女たちの死体が発見される。
それも死体の周りには夥しい血痕が散り、はやり病などではなく何者かによる殺害だろうと思われた。
もうその数は片手では足りなくなってきているというのだ。
困り果てた老主人がとぼとぼ歩いていると、悠然と歩く青年僧侶が目に入り藁にもすがる思いで飛びついてきたのだった。

「それが、刀傷とは思えんのです。何本も傷がついていて…獣の爪痕にしては大きすぎる。」
「何かの妖怪かしらね…?」
「金品が盗まれたりってこともねぇんだろ…だったらやっぱり妖怪じゃ…」
犬夜叉の疑問に老主人が辛そうに切り出した。
「しかし、その言いにくいのですが…どの娘も辱められたような痕跡があり…」
あまりにも惨いやり口に一行の空気はますます重くなった。
「酷い…」
「許せませんな…」
かごめは口元に手を当てて眉をひそめている。
珊瑚が嫌悪を隠しきれない表情で続けた。
「人間の女を求めるからって人間とは限らない。妖怪の線が強いよ。」
「あ、そういえば…」
そこで老人が何かを思い出したように呟いた。
「大事なことを言い忘れとった。」
「何でしょう?」
「何じゃ?」
「いえ…殺められた遊女たちは皆紅い着物を纏っておったのです。」
「赤い着物を着た女のひとを狙ってるってこと?」
「さぁ…?」
「だったら女どもに赤い着物は着ないように言えばいいじゃねぇか」
犬夜叉の指摘に一行の誰もが頷いて、老人を見やった。
「はい、もちろんそのようにお触れを出しましたが何せこの街全体が遊廓…すべての遊女たちに広めるのは難儀なことで…」
「困ったわね…」
テレビもケータイもない時代だ。
頭を抱えるかごめの隣でしゃらんと小さな金属音が鳴った。
「なるほど。しかし我々が参ったからにはもう心配ありませんよ。必ず犯人を突き止め成敗して見せましょう」
弥勒はそう言うと重苦しい空気を払拭するように柔和な笑顔を見せた。



「珊瑚ちゃんどう?…ってうわあすっごい綺麗」
遠慮がちに障子をあけたかごめの目に映ったのは、得も言われぬ豪奢な着物をまとった珊瑚だった。
まさに秋の深山に敷き詰められる紅葉の絨毯をそのまま織り込んだような着物。
珊瑚の色白の肌にその紅がよく映え、かごめがどきりとしてしまうほど艶やかだった。
「なんかその着物見ると百人一首思い出すわ…神のまにまにとか何とか…」
「かごめちゃん?」
一人その美しさにため息をつくかごめに珊瑚は不思議そうな顔を向ける。
その面には化粧が施され、髪も結いあげられ後ろの高い位置でまとめられている。
珊瑚や彼女を飾り立てていた遊女たちの視線を感じかごめは我に返った。
「あ、ごめんごめん。でもとっても綺麗よ」
「何言ってんのさ、かごめちゃん。ここの女の人たちに比べたらあたしなんか見劣りして、妖怪も寄ってこないよ」
珊瑚はそういって苦笑したが、すぐに表情を引き締めた。
「だからさ…これ、使おうと思って。」
「何それ?」
「これは退治屋の里の秘薬だよ」
粉状のそれは薬ではなく香のようなものだった。
「そうだね…妖怪用の媚薬みたいなものかな?」
「びやく?」
珊瑚によるとそれは、とある雌妖怪から作られし薬だと言う。
その妖怪の発する匂いは雄妖怪を惹きつける、言わばフェロモンのようなもので
この薬はその匂いのもととなる成分を粉状にしてあった。
妖怪の雄をおびき寄せるのに使われるこの薬だが、今回女人を狙う妖怪にうってつけだと珊瑚は考えたのである。
そして彼女はその粉を少量の水で溶かし、首や手首に塗っている。
「香水みたいね」
「え?」
「いや…でも、珊瑚ちゃん気をつけてね?その、いろいろ」
「ああ、その点は大丈夫だよ。こういう囮は慣れてるし、みんな近くで待機してくれるんだろ?」
「うん…にしても犬夜叉たち遅いわね?」


話し合いの結果、とりあえず珊瑚が囮となって妖怪をおびき寄せることになった。
もちろん最初は七宝に白羽の矢が立った。
しかし、これだけ派手に事件を起こしているのに尻尾をつかませないあたり高等な妖怪であるとうかがえた。
また、いつ現れるかも分からず、長い時間変化していられない七宝は却下となったのだ。
当然、仲間達は珊瑚の身を案じたが、珊瑚本人が囮をやるの一点張りだったため、
おびき寄せるだけで、退治自体は犬夜叉や弥勒がやることで折り合いがついた。
珊瑚は「そんな心配してもらわなくても大丈夫なのに…」などと、ケロリとしていたのだが。

珊瑚は紅い着物を纏うだけのつもりだったが、弥勒が
「話によると上玉の遊女ばかりが狙われていると言うではないか、お前もしっかり遊女になりきらなくては」
などと最初は口にすることすら遠慮していた「遊女」になれと迫ってきて、目を輝かせたかごめだけでなく、
「そうですよね!」と弥勒に話を振られた老主人までもが賛同したため、こうして珊瑚は色香漂う髪型や化粧を施されたのである。
珊瑚がそのように飾り立てられている間、男性陣は街に出て、見回りと注意喚起を行っている。
珊瑚の準備が出来るころには戻ってきて、一緒に犯人探しをする予定となっていたのだが。

「おい、終わったか?」
かごめの後ろから犬夜叉が現れた。
「ああ、うん」
「あ、犬夜叉おかえり」
珊瑚が振り返ると妙に赤い顔をした犬夜叉が立っていた。
「どうかした?」
「いや…何かおめぇすっげーいい匂いすんな…なんか女の匂いっつーか…」

ぴきっ

何かが切れる音がした―気がして犬夜叉が慌てて振りかえると仏頂面のかごめがいた。
「べ、別に変な意味じゃねぇぞ!」
「いいのよ、別に、今の珊瑚ちゃんいつにも増してとっっっても綺麗だもんね?」
「だから、そんなんじゃ…」
不機嫌なかごめと焦りの隠せない犬夜叉を見ながら珊瑚は苦笑する。
「かごめちゃん違うよ。さっきの薬のせいさ。」
そう言って珊瑚は粉薬の残りをひらひらと見せた。
「ほら、犬夜叉は鼻が利くからさ」
「それだけかしらね…?」
「な、なんだよそれ!」
かごめの視線が痛いが、犬夜叉はそれをはねのけるように大声を出した。
「ああ、これはね…」
珊瑚がかごめにしたように説明してやると、犬夜叉は意外にも困ったような顔をした。
かごめも「大体女の匂いって何よ…あんたどこでそんなもん嗅いだのよ…」などと言っていたが
犬夜叉のまじめな表情に口をつぐんだ。
「なぁ…それあんま効かねぇかもしれねぇぞ?」
「は?なんで?」
「それがここ化粧やら酒やらの匂いがきつくてよ…俺の鼻もあんまり役に立たねぇんだ。妖怪がまぎれてても匂いじゃ分から…」
言いかけて犬夜叉は、後ろから殺気を感じた。
恐る恐る振り返るとかごめが肩を震わしていた。
「か、かごめ…?」
「…じゃあやっぱり珊瑚ちゃん自体に見とれてたんじゃないのよおおお!」
「ちげー!!ここはあんまり他の匂いがしねーし、これくらいの距離なら嗅ぎ分けられる!」
ぎゃーぎゃーまた始まってしまった喧嘩に珊瑚が苦笑していると、呆れた様な声音が耳に入ってきた。
「何しとるんじゃ…」
「七宝、雲母おかえり」
「みぃ〜」

「…珊瑚なんぞ色っぽいの〜」
鼻をぴくっとさせると七宝が恍けたような顔で見上げてきた。
「あぁ、これはそういう薬を仕込んでるからでね、それが原因であの二人喧嘩してるのさ。」
「よう分からんが、それで妖怪をおびき出すわけじゃな?」
「うん。ところで七宝何か情報は得られたか?」
「いや…ただ注意するように街中言って回ったから、逆に妖怪が現れんかもしれんのう。」
「まぁ、それに越したことはないけど退治はしなきゃならないからね…」
珊瑚が小さくため息をつくと七宝が何かを思い出したらしくぽんっと手を打った。
「そう言えば、一人赤い着物を着たおなごを見たぞ。」
「ちゃんと忠告してくれた?」
「声をかけようとしたら、後ろに弥勒がおって…」
「法師さまが?」
「弥勒が説明してくれるじゃろうと見ておったら、弥勒がそのおなごの腰に手をまわして、二人で部屋に入って行ったぞ」
「はー?何それ!?」
珊瑚が大きな声を出したため、犬夜叉がこれ幸いと喧嘩を中断させて「どうしたどうした」と聞いてくる。
「もう信じらんないっ!あのバカ法師働く気あんの!?」
そんな犬夜叉を放置し、珊瑚は勢いよく立ちあがるとずかずかと部屋を出て行った。
「おいおい待たんか!」
その後ろをとたとたと愛らしい妖怪が続き、
最後に顔を見合わせた犬夜叉とかごめが追いかけて行った。
残された遊女たちは、嵐のごとく消えて行った一行にぽかんとしていたがふと我に返ると
「どうぞよろしくお願いいたします」
と、慌てて開け放たれた襖に向かって頭を下げたのであった。




(-弐-)




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