-弐-



「この辺の屋敷だと思うんじゃがのう。」
「覚えてないの?」
「すまん…珊瑚に急いで報告せねばと思って…」
「…雲母も?」
「みぃー」
日も落ちかけたころ、一行は華やぎはじめた街をうろうろしていた。
「犬夜叉、法師さまの匂いしない?」
「だから、ここは匂いが混ざり過ぎて…」
珊瑚は困った、とため息をついた。

「ねぇ、それより珊瑚ちゃんに視線が集まっちゃってるわよ。」
「え?」
見ると、男どもが遠慮なく珊瑚に熱っぽい視線を向けている。
それは当然だ。何せそういう場所なのだし、今の珊瑚は誰がどう見ても商売女だ。
しかも、本物の遊女に比べ清楚さが加わり、その物憂げな表情も合わせてかえって数倍もの色香を漂わせている。
周りに、犬耳を持った男や、尻尾の生えた童子、二又の尾をもつ猫がいなければ、間違いなく大金を積んで買いに行ったところだろう。
傍にいる少女も美しいが、その格好から取り巻きと同様近寄らないほうがいい者と分類されていた、
かどうかは分からないが。
「やだ…あの薬、人間の男にも効くの?」
そんなことは聞いていないと、珊瑚が慌てだす。
「珊瑚ちゃん…」
かごめが苦笑を洩らしていると後ろから声がかかった。
「もし…そこのお方…」
振り返ると、壮年の女が立っていた。
髪には白いものが混じり、顔には苦労皺が幾本も刻まれていたが、その立ち姿は凛としていて美しく
昔はここで名を馳せたような、遊女だったのだろうと想像は難くなかった。
「うちのお客様からご指名がかかってるんですけれど…どちらの店の方ですか?」
女は困ったように微笑んでいた。
「指名…?」
「ええ…『紅い着物のおなごを所望する』と…」
一行は目を見開いて顔を見合わせた。


「千景さん。」
これが女の名である。珊瑚は小声で続けた。
「あとは私たちに任せて。退去してて。」
「しかし…」
「大丈夫、もしただのお客さんだったら、すぐに呼びに行くから。」
千景に事情を話し、『赤い着物のおなご』を指名してくる客が妖怪である可能性を告げた。
この郭の女主人を務める千景の耳に事件の話は入っていなかったようで、大層驚いていた。
「それよりも、他の女の人たちに注意するように言ってきてほしいんですけど。」
かごめも、千景や遊女たちを危険にさらさぬよう口添える。
「…分かりました。お客様はこちらの部屋でお待ちです。では…」
千景は深くお辞儀をして去って行った。
「さて…」
「珊瑚ちゃん、気をつけてね。あたしたち隣の部屋にいるから。」
隣とは部屋が続いており襖一枚で行き来できる。
「ああ」
「なんかありゃ俺がすぐ行く。」
珊瑚が頷くと、かごめや七宝も頷き、それぞれ定位置に着いた。
雲母だけが物言いたげに首をかしげていた。

「お待たせしてしまい申し訳ありません。ご指名を賜りました珊瑚と申します。」
「…」
返事がない。
仲間達の間で緊張感が高まった。
「…では失礼いたします。」
珊瑚が用心深く障子に手をかけ、部屋に滑り込んだ。
が、人気を感じない。
珊瑚が慌てて顔を上げると、案の定もぬけの殻だった。
「逃げられた!」
声を荒げ勢いよく立ちあがった珊瑚だったが、振り向いた瞬間何者かに押し倒された。

パーン

「珊瑚!」
「珊瑚ちゃん!」
続きの間で、妖怪に気取られないように襖から距離を置いて息をひそめていた犬夜叉たちが、
珊瑚の悲鳴と、大きな物音に驚き、慌てて隣室に飛び込んだ。
「お、お前が…」
押し倒された珊瑚にのしかかる黒い塊に一同は目を見張った。

「てめぇ何やってんだ…?」
呆れた視線を注がれているのは、何を隠そう、仲間である弥勒法師その人だった。
「あ、いえ。」
「…いつまで乗っかってんのさーーー!!!」
と、跳ねのけられた弥勒の頬には珊瑚の着物にも負けないほど赤く痛々しい手形があった。
「もうまったくあんた何してんの!!」
と、怒りに頬を紅潮させている珊瑚の髪や帯は崩れ、そして、しっかりと襟元も広げられている。
「そういえば弥勒を見かけたのはここじゃった。…おなごを口説いとったじゃろう?」
珊瑚が身だしなみを整える横で七宝が白い目を向ける。
「いいえ?皆さんに注意して回っていただけですよ?部屋でじっくり話を聞かせてやったおなごもいますが。」
「…話だけか?」
「もちろん。すると、赤い着物を着たおなごが外をうろつくのが見えたので、女将さまに頼んで呼んでもらったのです。まさか珊瑚だったとはなあ」
「もう突っ込みきれない…」
げんなりという様子のかごめに「突っ込んでもらわなくて結構です」と微笑みかけると続けて呟いた。
「それに心配せずとも妖怪はかかったようですよ。」
「え…?」
「失礼!」
弥勒は、素早く立ちあがるとその勢いのまま、部屋を出て行った。

慌てて犬夜叉たちが追いかけると、二つ離れた部屋の前で女主人―千景が震えて立ち尽くしていた。
「千景さん!」
部屋の前に辿りついたかごめが中を覗き込むと、破魔札に苦しむ大鬼と、一人の遊女の手を取り心配そうな目を向ける弥勒の姿があった。
「鬼!?」
「み、弥勒さま!これは?」
「僅かに違和感を覚えてこの郭に留まっていて、正解でした。」
手を握ったままの遊女ににっこりとほほ笑みかける弥勒。
「あぶねー!」
犬夜叉がかごめを抱え跳んだ。
破魔札を妖気で焼き切った大鬼が身を大きく振るったのである。
同じく遊女を抱えた弥勒が犬夜叉の隣に立っている。
しかし、普段とは違い動きづらい着物を着ていた珊瑚が逃げ遅れ、大鬼に捕まっていた。
「くっ…」
「珊瑚!」
弥勒は抱えていた遊女を安全なところまで連れて行き、逃がした。
しかし振り返った弥勒が見たものは、大鬼がその巨大な掌で握ったのだろうか、意識を失い肢体をぶらりと垂らした珊瑚であった。
「!」
大鬼は犬夜叉たちの間をひとっとびするとそのまま珊瑚を連れ去った。
「待ちやがれ!」
弥勒は悔しそうに叫び、変化した雲母に跨った。
無我夢中で大鬼の後を追う。
つい手近にいた遊女をかばってしまったが、本来赤い着物をまとった珊瑚を庇護すべきだったのだ。

弥勒のあとを、かごめと七宝を背負った犬夜叉が追っていたが、大鬼のスピードは想像以上のものだった。
だいぶ引きはなされてしまったが、大鬼の逃げた方向が花街からそれた森の方だったため、犬夜叉の鼻が利くようになってきた。
「おい弥勒!珊瑚の匂いがする!」
今度は犬夜叉の後ろを弥勒が追い、やがて開けた場所にたどり着くと探し人を見つけた。
が、その光景は弥勒の顔面を蒼白にさせた。

「珊瑚!!!!」

気を失う珊瑚の着物はズタズタに引き裂かれ、ところどころ白い肌が見えてしまっていた。
悲愴な面持ちで珊瑚の肢体にのしかかるのは先ほどの大鬼ではなく侍風の男だった。
「落ち武者…?」
そう呼べるほど、乱れ切った着物や髪。
男はそのまま珊瑚の柔肌に手を伸ばした。
「させるか!」
弥勒の投げつけた錫杖は男に見事ヒットし、男はそのまま弾き飛ばされた。
弥勒は己の袈裟を解きながら駆けより、それで珊瑚を包み込み抱きかかえた。
「珊瑚、しっかりしなさい!珊瑚!」
「ん…」
珊瑚はその衝撃に眉根を寄せそっと目を開けた。
弥勒は安堵のため息をつき、たまらずその体を抱きしめた。
「良かった、無事でしたか…」
「ちょっと、何し…」
珊瑚は頬をさっと桃色に染め、身をよじろうとしたが体に力が入らず法師のなすままにされていた。

「おい、てめぇ何者だ!さっきの鬼と仲間か!?」
一方男に詰め寄った犬夜叉はその胸ぐらをつかみ睨みつけた。
男ははっとして犬夜叉の手を逃れようとしたがその剛力に勝てるはずなどなかった。
「答えろ!」
「た、たすけてください…」
「あ?」
男は小声で呟く。
「私はただ…人を…探しているだけなんです…」
「嘘をつけ、珊瑚に何しようとしていやがった」
「私は…」
男はそのままへなへなとへたり込んでしまった。
「あ、おい…」
重みの増した体に思わず犬夜叉が男の体を離すと男は完全に顔を両手で覆い蹲ってしまった。
「何なんだ…?」
「…け…」
「は?」
「き…け…」
犬夜叉が渋々しゃがんで男の言葉に耳を傾けるも、何を言っているか分からない。
かごめや七宝も犬夜叉の背後からその様子を見守っている。
男はなおもふるふる震えている。

弥勒の腕の中でうなだれていた珊瑚だが突如はっと目を開けた。
「どうした、珊瑚…?」
弥勒が心配そうにその顔を覗き込む。
「…だめ、離れて…」
「離れる?何故?」
珊瑚を抱く腕が少し強まった。
「あ、たしじゃない…そいつは鬼だ!」
「はっ!?」
珊瑚が言い終わるか否かのところで妖気を感じ取った弥勒は彼女を腕に抱いたまま立ち上がる。
はっと視線を戻すとかごめと七宝を両脇に抱えた犬夜叉が先ほどまでいた場所を飛び去っていた。
「あけ…きあけ…」
なおも意味のわからない言葉を発し続けている男はすでに人間ではなかった。
その体は徐々に膨れ上がり暗い暗い藍色に変色しつつある。
指先からは鋭利な爪が伸び、頭から二本の角が生えていた。
「お前がさっきの…!」
犬夜叉がかごめたちを安全な場所に下ろすと素早く鉄砕牙を抜く。
「ぐあああああ」
鬼と化した男は、再び立ち上がると咆哮を上げた。
そして、弥勒の腕でぐったりとしている珊瑚に手を伸ばしたのであった。
「弥勒下がれー!」
弥勒が素早く鬼の腕をよけ、犬夜叉が己が刀の必殺技を放とうとしたときである。

「止めなさい!」

その場に凛とした声が響き渡った。
「千景さん…?」
かごめが驚きに目を瞠った。
いつの間にやら鬼も動きを止め突如現れた女に目を向けている。
「失礼をいたしました…それは私の飼い鬼です」
「か、飼い鬼とは…」
「ペットじゃあるまいし…」
しばし硬直していた面々がようやく動きを取り戻した。
「ってことはなんだ?てめぇ女どもがやられてること知ってたのか!?」
「いいえ」
千景は静かに首を振る。
そんな千景といつの間にやら人間の姿に戻った鬼とを見比べ弥勒が口を開いた。
「女将さま…詳しくお聞かせ願えますかな?」
その声音に険しさが混じる。
「だますようなことをして申し訳ありません…ここでは何ですので、お屋敷に戻りましょう」
丁寧にお辞儀し、そして背を向けた千景に皆がついていく。

―何かがおかしい

どこか違和感がぬぐいきれないまま、弥勒は、未だ力の入らない珊瑚を守るように腕の力を強めた。




(-壱-) (-参-)





■□戻る□■

inserted by FC2 system