-肆-



「女将さま!」
法師は、森の中をふらっと歩く千景をやっと見つけて呼びとめた。
「法師さま、どうなさいました…?」
驚いたように振り返る千景。
「いえ…濃緋殿とお呼びした方がよろしいですかな?」
「!」
「利三殿がそう呼んでおりましたな。最初は何のことか皆目見当がつきませんでしたが、あなたの商売名だったのですね。」
「…ええ、その通りです」
弥勒は千景ににっこりと微笑みかける。
「利三殿は貴女のことを忘れていなかった。ずっと貴女を探していた。」
「…やはり、月日の流れには勝てませんね。私を目の前にしても誰だかは分かっていなかったのですから」
「彼は、死霊です。明確な意思など持ち合わせてはいないでしょう。それでも貴女の元へ辿りついた。それでは満足できませんか?」
「でもあの時確かに彼は私を捨てた」
「利三殿にも何か事情がおありだったのでは…」
千景はふっと笑う。
「そうかもしれません。でもね、法師さま。殿方にはお分かりにならないでしょうが、花盛りの娘時代につけられた傷はそう簡単には癒せないのですよ…」
その寂しげな表情に、弥勒は不思議と胸がざわついた。

「それは、ともかくです。一つお伺いしたいことが。」
なんですか?という風に千景は弥勒に視線を送る。
「時間があまりないので、単刀直入に申し上げます。…貴女はもしかして、絡新婦(ジョロウグモ)ではないですか?」
法師の口から紡がれたその唐突な疑問に千景は目を見開くばかりである。
「いえ、先ほど犬夜叉が貴女は妖怪だと申していたでしょう。珊瑚の薬と同じ匂いがするとも。そして珊瑚の薬は男を誘惑するものだそうです。絡新婦もまた、男を誘惑し、食らう妖怪だと聞きます。」
「…法師さまには何もかもお見通しのようですね。では、私の目的も?」
観念したように千景が苦笑する。
「復讐のため、利三殿を食らうつもりだったのではないですか?利三殿が実態のない死霊だと知らずに。おなごを殺めさせたのは利三殿がその度巨大化していったから。」
―獲物は太らせてから食う
「最も、巨大化するのはおなごの死魂を、死霊である利三殿の体が引きつけたからでしょうが。」
「ええ、最初はそのつもりでした。というより、そうだと必死に自分に言い聞かせていた」
「…と言いますと?」
「おなごを殺していたのは私です…」
「何と…」
「再会した直後は、次々と遊女たちに手を出していく、恐ろしい悪魔だと思いました。その度女たちの恐怖心や憎悪の念を吸収し、増大していく姿に嫌悪していた。」
弥勒は真剣な面持ちで、千景の話を聞いた。
「だけど、私は利三の行動を止められなかった。それどころか、気づけば私自身、遊女たちに手をかけていた」
恐らく、間違った形とはいえ彼に愛される美しい娘たちに嫉妬していたのだろう、と。
「所詮、私も妖だったのだ、と自らにも嫌悪しました。」
「失礼ですが、なぜ今になってそのような?郭に身を置いたのは、男を食らうためでは?」
「ええ、確かに。でも人の世界に交じった時から、人として生きると決めていました。食らうと言っても生気を少しずつでしたし、幸い人の食するもので飢えをしのぐことが出来ましたから。」
「なるほど…」
人になれたと思っていたのに、結局は人を殺めてしまった。

「大方のことは分かりました。とにかく、珊瑚を救いに行かねばなりません。行く先に心当たりがあるのでしょう?」
「…ええ。」
「…何か?」
不思議そうに見上げて来る千景に弥勒も疑問を投げる。
「いえ、あまり焦ってらっしゃらないというか。長話をしてしまいなんですが急がずともよいのですか?」
「珊瑚を救うには、利三殿を救わねばならない。そのためには貴女のご助力が必要ですから。だから話を聞かせてもらった」
さあ、と弥勒が千景を促し、二人は足を進める。
「…あのお嬢さんが心配じゃないんですか?魂が抜けていたわ」
「珊瑚は意志の強い娘ですから、大丈夫です」
千景はきっぱり言い放ったはずの法師の顔を覗き込む。
じっと見つめられ、降参とばかりに弥勒は手を挙げた。
「……売れっ子遊女には隠せませんなあ。本当のことを言うととても心配です」
と、照れたような顔を見せた弥勒に千景は笑った。
「法師さまがそのような顔をなさるなんて。相当思ってらっしゃるんですね」
「…大事な仲間ですからな」
「仲間?それだけかしら?」
「どういう意味です?」
「いえ。若いっていいですね」
「はぁ」
苦笑いを浮かべる弥勒だが、そこは流されない。
「私は年齢など気にしませんがね。例えば女将さまの様な綺麗な方なら大歓迎です」
「話がそれてますよ」
「そうですか?」
「ええ。」
どうやら、千景も商売柄弥勒に負けず劣らずの喋り達者らしい。

そうこうしているうちに屋敷に着き、二人は表情を改めた。
「ここは?」
「私が以前勤めていた郭です。もうすっかり廃墟ですが…」
「利三殿とも、ここで?」
「ええ。ここに、必ず迎えに来ると言いました」
「…入りましょう」
千景は力強くうなずいた。


「…とにかく、あんたは記憶を取り戻したわけだ。」
利三は複雑そうな表情を見せたが珊瑚は構わず続けた。
「この先のあんたの処遇はすぐには決められないけど、あたしは濃緋さんじゃないわけだし、魂を解放して」
「…それはできない」
「何で!」
「私の本体は大きくなりすぎた。このままでは決壊してしまうだろう。その時放り出された魂はきっと悪霊化して再び世をさまよい続ける。だから…」
利三はそこで珊瑚を屹と見つめ、手首をつかんだ。
「何を…!」
「ともに成仏してくれるおなごが必要だ。これだけ探しても見つからなかった。濃緋はきっともういない。お前は濃緋に負けず劣らず美しく気高い。ともに、逝ってもらう」
呟く声はこの世のものとは思われぬ低音で響き、珊瑚は震えた。
(すでに悪霊化してるじゃないか…!)
「逝くぞ…」
「やっ…」
利三の拘束から抜けられず珊瑚が固く目を閉じたときだった。

「珊瑚!」

清廉な声が響いたかと思うと、途端珊瑚は強い拘束から解放された。

ふっと眼を開けると上から法師が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「珊瑚、大丈ぶふっ」
「うわぁ!」
あまりの近さに驚いた珊瑚は勢いよく法師の頬を張っていた。
「おまえ…」
「え?あ?戻ってる?」
自分の体に触れ、魂がちゃんと戻っていることを確認した珊瑚は、安堵したような表情を法師に向けた。
「大丈夫ですか?」
「うん…ありがと」
助けてもらったのにいきなり平手打ちをかましてしまったことに申し訳なさそうな声を出した珊瑚だがすぐに表情を改め周囲を伺った。
法師を挟んで向こう側に侍姿に戻った利三の体が倒れている。
その隣では千景が複雑な表情で利三の動きを見守っていた。
「強い怨念が浮遊しているのを感じる。恐らく、怨念が強すぎて体に戻れないのでしょう。」
「利三は、体が大きくなりすぎていずれ決壊するから戻らないと言っていたけど?」
「いや、というよりは怨念が強くなりすぎて体になじまないと言ったところでしょう。もともと死人である利三殿の体は彼が作りだした幻想にすぎん。ゆえに脆い。」
「そう…なんだ…」
千景は二人の話を聞きながら、部屋に意識を研ぎ澄まし、利三の居場所を探っているようだ。
ああ、と珊瑚は思う。
(千景さん、やっぱりあなたが…)
そんな千景をちらと見やり珊瑚は口を開いた。
「利三は、ともに逝ってくれる女がいないと成仏できないって言ってた。」
「それで、お前の魂を…」
心底心配そうな瞳を向けられ、珊瑚は落ちつかなげに目を逸らす。

「…法師様」
珊瑚がなんとなく甘酸っぱいような沈黙に耐えていると、千景が声を上げた。
弥勒が、千景に視線を移す。
彼女は眼を瞑ったまま続ける。
「私の魂を肉体から切り離してくださいませんか?」
「ええ!?」
珊瑚は素っ頓狂な声を上げ、弥勒も眉をひそめた。
「それはまた…何故?」
「先ほどお嬢さんがおっしゃっていたでしょう。利三はともに成仏してくれる女を探していると」
「そんなのダメだ!」
千景の望みを察した珊瑚は慌てて彼女に駆け寄る。
「お分かりでしょうが…冥土の道は生きては参れませんよ?」
「分かっています。私は長く生きすぎました…それもこれもずっとこの人を待って。」
ふっと千景の視線が利三から珊瑚に移動した。
「この人が死ぬと言うならば、ともに逝きたいと思うのが女ってものでしょう?」
そう珊瑚に語る千景の目ははっとするほど艶やかで、到底及ばぬこの色香に、自分の幼さを思って頬を染めた。
(好いた男が死ぬときは女もともに死ななければならないと言うの…?)
「…間違ってる。そんなの、絶対」
「貴女はまだ恋をしたことがないのね。いつかきっと分かるわ」
そう囁いた千景の顔はとても美しく、珊瑚は今度は釘づけになった。
その珊瑚の視線から逃れるように千景は法師に目を向けて、再び懇願をした。
「…そう申されましても、法師の私にそのような真似が許されるはずもない。」
「しかし、どうしてもこの人を導いてやりたいのです…」
「女将さま。なんとか、利三殿の魂を捕らえ、肉体に戻しますから、生きた状態で説得をしてはもらえませんか?」
「しかし…」
魂はもう戻れないのでは?
「一次的に魂を正常に引き付けておくくらいの法力なら持っていますよ」
そう言うと錫杖を握り直し念を込めた。


静かに目を開けた利三の眼中に懐かしい花顔が映った。
「…濃緋…?」
「利三様…」
ほっと溜息をもらし己の名を呟くその声に愛しさがこみ上げてきた。
あのころと変わらぬ己を引きつけてやまぬ輝くような美しさと甘い香り。
―そこに居るのは、若き侍と、紅い着物をまとった遊女。
ゆっくりと体を起こすと、その手は濃緋の手に包まれていた。
「濃緋…とてもよく似合っている…」
それは貴方がくれたものだから。
この着物は貴方。
私と貴方はこの世で一番似合いなの。
「…ずっと待っていました。この着物を着て。この着物の紅のように私の心はずっと燃え上がったままでした」
「…すまなかった」
男は深く深く(こうべ)を垂れる。
女は優しく首を横に振る。
「やっと、来てくれた」
女は極上の微笑みを。
男はその微笑みに惹かれて。
「いこうか…」


「これで…良かったんだろうか」
懇ろに経を上げる弥勒の後ろで手を合わせながら珊瑚は小さく呟いた。
犬夜叉が穴を掘り、かごめが花を供えた簡易な墓の下では二人の男女が眠っている。
昨夜、結局利三は千景を連れていった。
弥勒と珊瑚はどうすることもできずに二人が選んだ答えを見守っていた。
犬夜叉たちが駆け付けたころには冷たくなっていた二人だが、二人とも幸せそうな表情をしていた。

弥勒が千景から聞いた話、珊瑚が利三から聞いた話から、一行は一連の事件の全貌を把握した。
その後、依頼主である老主人に凄惨な事件が、ある一組の男女の悲恋から起こってしまった事を報告した。
悲痛な顔を見せた老主人であったが、亡くなったおなごたちも弔いたいと法師が申し出ると、ありがたい、と頭を下げた。
夜も遅い時間であったし、お礼にと停留を勧められ、不眠不休で疲れ果てていた一行はその言葉に甘えることにした。


「何を考え込んでいるんですか」
裏庭に面した廊下に座り込み夜風に当たっていた珊瑚は来訪者に胡散臭い目線を送る。
一晩だけと思っていたが、方々弔いに回り、二人の葬儀も執り行い、結局もう一晩宿泊することとなった。
「…法師さま、いたんだ」
「どういう意味ですか」
「女遊びし放題なのに。」
「はは…流石に疲れました」
そう言いながら、隣に腰掛けて来る。
珊瑚は少し距離を置いた。
その警戒もあらわな態度に弥勒は苦笑いを浮かべる。
「それはそうと昨夜はお前、最後に女将さまに何を渡していた?」
弥勒が利三の魂を呼び寄せている間に珊瑚が千景に何かを渡していたのが視界に入ったのだ。
「ああ。これだよ」
珊瑚は懐から小さな巾着を取り出す。
それは例の媚薬。
男を引き寄せる…
弥勒がぎゅっと眉間にしわを寄せたことも気にせず珊瑚は続ける。
「これ、あの人だから。」
「は?」
「この薬、絡新婦の死体から作るんだ」
「…お前、気づいて…」
「まあね。」
最初から何かが変だと思っていた。
確信したのは、あまりに艶やかな視線を送られた時。
この世のものとは思えなかった。
「で、それを何故?」
「千景さん、人に交じり過ぎて妖気薄まってただろう?これで、本来の力を取り戻してほしかったっていうか」
「本来の力?」
「そう。男を惹きつける力」
そういう珊瑚の言葉には照れが滲む。
それを弥勒は微笑ましげに見つめた。
「絡新婦は、甘い香りを放って男に幻想を見せる。」
「おなごは好いた男の前では綺麗でいたいと願うものですからね」
なんとなく恥ずかしくなって、珊瑚はぎゅっと巾着を握りしめ、下を向きながら話を続ける。
「もっともこの薬は、退治用に加工されてるから、人間には効かないはずなんだけど。」
どういうわけか、利三には効いてたみたいけど、と小さな声で付け足す。

「ともかくです」
突如手に握っていたものをもぎ取られ珊瑚は呆気にとられた。
「これは没収です」
「なんでさ!」
「ほいほい男を近づけるんじゃありません」
「!」
そう耳元でささやかれ、珊瑚の思考は停止寸前となった。
「あ、あんたじゃあるまいし!これは妖怪退治用だ!」
必死に取り返そうとしがみついてくる珊瑚が可愛くて仕方がない。

珊瑚は言っていた。
好いた男のために死ぬのは間違っている、と。
あの時、まったく正論だ、と思いながらも痛む胸と右手はどうしようもなかった。
連れて逝きたい…そう一瞬思ってしまった自分が怖い。

『置いていくくらいならここで一緒に死ぬ…!』
その後、その珊瑚が弥勒に対してこの科白を紡ぐ。
これが男にとってどれだけ甘美な台詞だったか、女は知らない。

「そう言えば、お前の遊女姿は最高に美しかったですねえ。」
「な、な、なにを突然…!」
「また拝みたいものです。」
弥勒はにっこり微笑むと珊瑚の手をさわさわと握る。
「今宵は私に買われませんか?」
「…買われません!」
珊瑚は一瞬呆けていたがすぐに我に返ると腹に一発蹴りを決め、すたすたと立ち去ってしまった。

「…それでいい」
弥勒は体勢を立て直しひとりごちる。
小さくなる背中を見つめて思う。
近づきすぎてはいけない。
道連れにしてはいけない。
弥勒は懐から巾着を取り出すと中の粉をさらさらとばらまいた。
風に乗って拡散していく甘美な粉はきらきらと光を反射し輝いていた。
「どこまでも飛んでいくがいい。」
そう、俺の元から離れてゆけ。
これ以上俺を惹きつけるな。




(-参-)


あとがき
とりあえず読了ありがとうございました!
余計なオリキャラの過去話とか入りまくりで、最後にとってつけたように弥珊^^;
しかも微妙にシリアス;;
死霊とか妖怪化とか巨大化とか妄想入れまくりですww
そもそも”絡新婦の粉”って何w
ほんと謝罪したいことはたくさんありますが、これが私の限界なのでお許しをw


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