(後篇)


ふと、雨にさらされ続ける娘が気になり法師が声をかけた。
「寒くはないか」
「…へーき」
そういう珊瑚の顔を覗き込むと唇が色を失い、少し震えているようだった。
「…すまない」
「何で謝るの」
「こういう時は袈裟で温めるのが常套だがこの通り濡れてしまっているので…」
「別に大丈夫だけど」
娘が胡乱な視線を向けるとにっこりと法師が微笑み己の襟元に手を添えた。
「仕方がないので私の素肌で温めて…」
言い切る前に娘の平手が炸裂…したが、いとも簡単によけられてしまった。
と同時に二人とも眉をひそめた。
「さん…」
「大丈夫だって。それより獲物探しに集中して」
避けるつもりのなかった弥勒が思わず避けられてしまった―それほど珊瑚は体力を消耗しているのだと、両者ともが思ったのだ。
強がる珊瑚にいったん休もうと声をかけようとしたその時だった。

がさっ

「今の物音…」
「…僅かだが妖気を感じるな」
二人は目を合わせ息をひそめる。
珊瑚は雲母をそっと胸元に抱き寄せた。
がさごそがさごそ
なおも響く音は近づくにつれ大きくなる。
獲物の位置を定めた二人は同時に木陰から飛び出した。
「堪忍しろ!」
「!まずい、法師様!」
珊瑚が弥勒に勢いよく飛びつき、二人とも倒れこむ。
先ほどまで二人がいた場所からはしゅーしゅーと煙が上がっている。
「どういうことだ…?」
体を起こしながら己の腕の中にいる娘の尻を撫でる。
「法師様!ふざけないで!」
「おっと!」
娘が法師の頬をぶつ前に、今度は法師が身を呈して妖怪の攻撃をかわす。
そのまま木陰に身をひそめた。
ほとんど先ほどの体勢のまま、つまり弥勒が珊瑚の体を抱えたままとんでもない近さで話しかける。
「どういうことです?野守虫とは雑魚妖怪なのでは?あの攻撃、なかなか侮れんぞ」
「ん、普段はほんとに雑魚だ。…ただ今回は間が悪すぎた、法師様も見ただろ…」
珊瑚は近すぎる距離にしどろもどろになってしまう。
「ああ、あれは…脱皮か?」
「そう。野守虫は脱皮中は気が荒れる。それで近づいてきたものに毒を振りまく。…言い忘れていたけど、野守虫は猛毒を持ってるんだ」
「…言い忘れたって…」
法師はいささか呆れたような顔をしたがそうもしていられない。
腕の中の娘の顔が赤いのはこの距離のせいだけではないのだ。
「…とはいえ、気づかれなければ問題はないのでしょう」
「うん。一人が気を引いてその間に一人が退治しよう」
珊瑚の提案に法師は一瞬目を開くも、言っても聞かないだろうと小さくため息をついた。
「?どうしたのさ、行くよ!」
「なんでもありませんよ!」
珊瑚が弥勒の腕を離れたと同時に、雲母が変化しその背に主人が乗る。
「野守虫!相手はあたしだ!」
野守虫の周りを攻撃を避けながら悠々と飛びまわる。
一方弥勒は木陰から好機を伺っていた。
(あ、あれ…?)
しばらくそのような状態でいる珊瑚に異変が起こった。
一匹だった野守虫が、二匹、三匹に見えるのだ。
(目くらましか…?違う、これはあたしが…)
びゅん―
「珊瑚!」
かなり際どいところになされた攻撃を雲母が間一髪で避けた。
避けたはいいが熱に苛まれ始めた珊瑚が自分の体を支えられず雲母から落ちたのだ。
気が遠のいた珊瑚に妖怪が襲いかかろうとしている。
(くそ、間に合わん!)
慌てて木陰から飛び出した弥勒だが走って行っても間に合う距離ではない。
迷わず法師は右手の数珠に手をかけた。
「風穴!」
「だめ!」
その声に朦朧としていた珊瑚の意識が戻る。
開いた風穴に妖怪が寄せられる。
大口を開けた野守虫の頭が弥勒の方を向く。
「うっ」
「飛来骨!」
意識が弥勒に向いているうちに珊瑚が得手を繰り出したのは、妖怪が放った毒塊を弥勒が体内に吸った後だった。
すぐさま弥勒は右手を封印する。
「法師様!」
ふらつく体を叱咤し、珊瑚が弥勒のもとへ寄ってきた。
瞬く間に顔色が悪くなる弥勒に眉をひそめる。
「大丈夫?毒を吸ったの?」
「大丈夫だ。それよりお前こそこの雨に打たれ…」
「人の心配してる場合じゃない!猛毒だって言っただろ!」
珊瑚の瞳が熱と怒りと悔しさでうるんできた時だった。
「!」
両断したはずの野守虫の体が最後のあがきとばかりに襲いかかってくるのが見えた―



「法師様…あのときあたしをかばってくれたんだね…」
傷だらけで高温の熱で苦しむ法師を見、ほぼ無傷の己の体と見比べて珊瑚は苦悶の表情を浮かべる。
(ごめん…あたしがこれしきの雨で熱なんか出さなければこんなことには)
悔やんでも悔やみきれない。
解毒薬を取りに行ってくれている仲間の帰りを待つことしかできない自分がもどかしい。
その時珊瑚は法師が小さく震えていることに気付いた。
(寒いのかな)
珊瑚は迷いもなく、弥勒の布団に滑り込む。
温めてあげたい。
ただその一心で彼の体をさすり始めた。
密着すると彼の震えが余計に伝わってくる。
ふと、犬夜叉かかごめが緩めたのであろう襟元から覗く素肌に頬が触れた。
そしてその熱さに珊瑚ははっとした。
こんなにも熱いのに、小刻みに震えているのだ。
さらに頬を摺り寄せその心音に耳を澄ませる。
いつもより早い…。
ふと珊瑚は彼の襟元をさらにくつろがせた。
弥勒も珊瑚も着ていたものはぐっしょり濡れていたのでかごめが村から借りてきた着物をまとっていた。
珊瑚は諸肌脱ぎになり弥勒にえいっと抱きついた。
さらしはかごめが一生懸命替えてくれたのであろう。
清潔で乾いたものが巻かれていた。
己の素肌と吐息で彼の冷えた肌を温める。
(震え、止まって…!)
珊瑚は祈るような思いで弥勒を抱きしめ、己の呼気を浴びせ続けた。
どれくらいそうしていただろうか。
やがて心音が通常の速さに戻ったような気がして顔を上げた。
心なしか顔色が少し良くなったような気がする。
「法師様…」
珊瑚は彼に抱きついたまま、右手を頬に当てた。
「目を覚まして…」
自分のせいで彼の体内に猛毒が存在していると思うと胸が苦しい。
早く楽にしてあげたい―。
珊瑚は神妙な面持ちで弥勒の首筋に口づけを落とした。
その時だ。
ばたばたばたっ
慌ただしい音が聞こえ、かごめたちの帰還を知らせる。
珊瑚ははっとなり、そして自分たちのとんでもない状況に思い当たる。
一気に体温が上昇するもうまく体が動かない。
弥勒の体にしがみついたまま、その彼の布団にもぐりこんだ。

たーん!

勢いよく戸が開く。
「ただいま!…ってあれ…?」
弥勒と珊瑚が休んでいる小屋を覗き、かごめたちは固まった。
珊瑚が寝ていたはずの布団に彼女はいない。
そして、その隣に敷いた弥勒の布団が異常に盛り上がっている。
これはもしかしなくても、そういうことなのだろう。
(えっ)
しかし弥勒の顔を見る限りまだ意識を回復していないようだ。
つまり、珊瑚が自ら潜り込んだことになる。
三人はお互いがお互いに視線をはわし、しかし、薬を飲ませないわけにもいかないのでそのまま無言で部屋に入った。
(さて…)
「…ところでこれはどうやって飲ませたらいいのかしらね。」
かごめはわざとらしく大きな声を放った。
ややあって布団のふくらみがもぞりと動く。
「そんなの珊瑚に聞けば…」
「おすわり」
「うげっ!なんでだ!」
「このまま飲ませてもいいのかしら??」
沈んでいる犬夜叉を無視しかごめが続けた。
するともぞもぞ動いていた膨らみからするっと白い腕が出てきた。
床をこつこつと叩く。
かごめが首を傾げると彼女の後ろから出てきた雲母が、吸い寄せられるようにその白い腕に絡みついた。
その手は、雲母をさらりとなでると勢いよく布団に引きずり込んだ。
かごめはぎょっとしたが、しばらくして布団から出てきた雲母は、珊瑚の荷物のもとへ行き、何かの薬草を引っ張り出してきた。
さらに七宝が汲んできた水の周りをぐるぐるし始めた。
それを見たかごめは心得たとばかりに頷く。
「混ぜろということね?摺るのかしら?煮出すのかしら?」
そしてなおも辛抱強く尋ねる。
すると白い腕が今度は二本出てきてすりこぎでする動きをしてみせた。
そこでかごめは気づいてしまった。
珊瑚が少なくとも二の腕まで衣服をまとっていないことに…
そしてその白い腕から目をそらすと、無言で薬草を摺合せ出した…

薬を飲ませるのは犬夜叉が手伝った。
意識がないので大変やりづらかったが、犬夜叉が弥勒の上体を起こしかごめが少しずつ含ませる。
少しずれた布団から覗く弥勒の素肌。
犬夜叉はこんなにも襟元を緩めていただろうか…

貝殻になみなみ注いできた毒消しを念のため三割ほど置き、再び彼を横たえた。
とりあえずこのままでは珊瑚の息が苦しかろうと、雲母を残してかごめたちは出て行った。
犬夜叉はよく理解できずぶつぶつ言っている。
七宝は察して無言でついてきたのだが…

三人の気配がすっかり消えると珊瑚は布団から顔を出した。
ものすごく恥ずかしいがぐっとこらえて彼の顔を眺めた。
(顔色…今度は本当によくなってる…)
安堵した途端自分と弥勒のあられもない姿が視界に入りカーッと頬を染めた。
彼に気づかれる前に再び布団にもぐり彼の襟元をただす。
そして己の着物も戻そうとしたその時だった。
さわさわ
「!」
臀部に感じるこの感触は…!
珊瑚は怒ることも忘れて布団から顔を出した。
「法師様?!」
すると彼がこちらを見て微笑んでいた。
「…よかった!目が覚めたんだ!」
安心した途端今までこらえていた涙が次々と溢れ出た。
「さんご…」
掠れた、弱々しい声ではあったが再び彼の声を耳にすることができ、嬉しさのあまり顔を歪めてしまった。
こんな顔は見せられないと慌てて顔を俯かせる。
「…こっちを向いて」
ふるふると首を振る。
「おまえの顔が見たい…」
「・・・やだ。」
「珊瑚…」
少し強くなった語気だったが彼の望みを叶えることができない。
その代わりギュッと彼に抱きつきその胸に顔を押し付けた。
その行動に彼も少々驚いたようだが、徐に腕をあげ彼女の頭をぽんぽん、と撫でてくれた。
「…ごめん」
「ん?」
「私のせいで…法師様をこんな目に合わせて」
言う間も彼の着物がじわりと濡れる。
「こんな目…とは」
「だって法師様。あたしをかばってこんな傷だらけに…毒を吸ったのもあたしが…」
さらに言い募る珊瑚の言葉を、頭に乗せていた手を背中に回し、止める。
「そのおかげで珊瑚と同衾できているのですから儲けものです。」
「な、何言って…!」
慌てて離れようとするも、どこにそんな体力が残っているのか背中に回された腕は一向に動かない。
「そうつれなくしないでください。お前につけられた傷だというなら、お前が癒してください」
「癒すって…」
戸惑う珊瑚にことさら優しい視線を向けた。
「雨がやむまで腕の中に居てください。」
外は小雨が降り続いている。
「…分かった」
「ありがとう」
弱雨の音に耳を澄まし珊瑚は再び彼に身を寄せた。
ほどなくして緊張の糸が解けたのか、安らかな寝息が聞こえてきた。



小さな娘の肢体を抱えたまま法師は意識を揺蕩わせていた。
(…それでも、まだしばらくそこに居てくれるか…叶うならば、息の根が止まるその時まで)
腕の中のいとけない寝顔を見つめ、ふと、窓の外に目を向ける。
長く降り続いた雨がやみ、雲の切れ間からお天道様が顔をのぞかせていた。




(前篇)


あとがき
書き始めたのが3年前ということに驚き桃の木。
こんなんばっかだ〜
珍しくまともに妖怪退治。
謎の爬虫類妖怪本当すいません。
結局布団の下でいちゃいちゃさせたかっただけ(語弊)。


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